横浜監督がまさかの発言「トレードどうだ?」 揺れた首位打者の心…新幹線で“直接勧誘”
西村徳文氏は1994年オフ、横浜の近藤監督と新幹線で遭遇…まさかの言葉が
元首位打者の西村徳文氏は、ロッテ一筋16年で通算1298安打&363盗塁をマークした。しかし一度だけ、トレード構想を告げられていたことがある。結局実現することはなかったが、横浜監督からの“直接勧誘”に心は揺れた。
30歳を過ぎ、ベテランの域に差し掛かりつつあった1994年オフのことだった。イベントに向かうため新横浜駅で新幹線を持っていると、横浜の近藤昭仁監督と遭遇した。巨人コーチ時代から何かと気にかけてもらい、評論家時代もグラウンドでよく声をかけられる間柄だった。
「食堂車で話そうと言われて行ったら、『実は今、お前のトレード話をロッテに持っていっているんだけどどうだ?』って言われました。『えぇー』ってなりましたけど、『どうだって言われても決まったらやるしかないじゃないですか。行ったらよろしくお願いします』と。『誰と交換かまだ決まっていないから、これから誰にするかというところだ』という話でした」
すぐに出た感情は「半々でした。入団したのはロッテなのでずっといたい気持ちと、自宅が横浜スタジアムから近かったので」。しかし考えれば考えるほど、気持ちは変わっていった。同年は75試合出場で、前年1993年の103試合から出場機会を減らしていた。とはいえ、まだロッテでレギュラーをはっていたとき。「セ・リーグに行ってレギュラーを取れるか考えたら、やはりこのままロッテにいた方がいいよな」と“残留”を願った。
1997年にロッテ・近藤監督誕生…明かされた「折り合いつかなかった」
「いつ発表になるんだろう」と気になっていたが、結局いつまで経っても連絡はなかった。1996年オフに近藤氏はロッテ監督に就任。「あれな、交換要員の折り合いがつかなかったんだよ」。2年後に初めて真相が明かされた。
1997年限りで現役を引退した西村氏は、そのまま1軍内野守備走塁コーチに就任して近藤監督のもとで指導者としての生き方を学んだ。トレードは実現しなかったが、不思議な縁でつながっていた。
(町田利衣 / Rie Machida)