イチロー氏に「なんてことをしてくれた」 夏に諦めた自身の記録…“恩師”が語る歴史的1年

1994年、オリックス時代のイチロー氏【写真提供:産経新聞社】
1994年、オリックス時代のイチロー氏【写真提供:産経新聞社】

オリックス時代のコーチ、新井宏昌氏がエール

 マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏が21日(日本時間22日)、日本人初となる米野球殿堂入りを果たした。オリックス時代に指導し、「イチロー」の名付け親でもある新井宏昌氏は祝福と共に「驚かされてばかりでした」と若き頃を振り返る。

 両者の出会いは1993年。新井氏が現役を引退し、評論家としてグリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)を訪れた時だった。大熊忠義打撃コーチから「お前に似た選手がいる」と言われてみたのがイチローだった。ただ、当時の新井氏は半信半疑だった。「別にピンと来なかったんです。素晴らしいバットコントロールを見せていたわけではなかったんです」。

 新井氏は翌年に仰木彬監督からの打診でオリックスの1軍打撃コーチに就任する。そこで再びイチロー氏に会うと印象は変わった。キャンプイン初日に快音を連発。「衝撃を受けました。これはとんでもない選手だなって」。これが最初にイチロー氏に“驚かされた”出来事だった。

 新井氏はこの時、イチロー氏がスターになると確信。仰木彬監督に「鈴木一朗」から「イチロー」への登録名変更を提言した。

「当時彼のことをみんな『イチロー』『イチロー』って呼んでいたのでそんなに本人も違和感がなかったんではないですかね。名前負けするような、目立つことをして浮いてしまうような心配はないと思ったので提案したんですけど、7年連続首位打者など、とんでもないことをしましたね」

自身の記録を抜かれた1994年「なんてことしてくれるんだ」

 当時、130試合制におけるシーズン最多安打記録を保持していたのは新井氏が1987年に記録した184安打だった。シーズン128試合に出場し、打率.366で首位打者も獲得。当時は「自分が見た選手に抜かれるとは思っていなかった」と話す。それが1994年、イチロー氏が210安打をマークし、新井氏の記録を一気に抜き去った。

「これは驚きで……。なんてことしてくれるんだって感じでしたね(笑)。でもシーズン途中のヒットを打ち続けている打撃を見て、抜かれても仕方ないなって思いましたね」。夏には記録を抜かれることを覚悟したという。

 シーズンで安打を量産していくうちに、新井氏には相手バッテリーの困惑がベンチから見てても肌で感じたという。「もう仕方ないから歩かせようとか、普通に歩かせるのは馬鹿らしいから当ててもいいかなとか」。

 その後も日米で通算4367安打をマークするなど、数々の記録を打ち立て、その都度何度も新井氏は驚かされたという。そして、それは現役時代だけではなく、引退後の姿勢もだった。

「かつて『自分は指導者向きではない』と彼が言ったことを覚えているんですよ。それが世界の超一流選手が、どうして高校生を指導するのかなって正直思ったりしたんです。でも高校の基礎のところでしっかりしていれば、その先の上のレベルでも対応できるってことなのかな、って思ったりするんですよね」

“世界のイチロー”が生まれる瞬間を間近で見てきた。「本当にあのような選手を指導できたことが幸せでした」と振り返る。「イチローはテレビで映る映像も生で見てもどこを切り取っても美しい。その美しさを見せながら指導してほしいなと思います」。偉業を成し遂げた教え子の未来を願った。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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