大谷を指導した父すら「テレビの人」 兄は佐々木麟太郎…“巨人入り”の妹が語った家族

花巻東高・佐々木秋羽【写真:佐々木亨】
花巻東高・佐々木秋羽【写真:佐々木亨】

父は花巻東高の佐々木洋監督…兄と「ボールを打ったのは覚えています」

 父は、菊池雄星(エンゼルス)や大谷翔平(ドジャース)の恩師でもある岩手・花巻東硬式野球部の佐々木洋監督だ。昨夏、女子野球の全国高校選手権で主将として準優勝、その秋には高校野球女子選抜の一員としてイチロー氏が率いる「KOBE CHIBEN」とのエキシビションマッチに出場するなど、花巻東女子硬式野球部で活躍した佐々木秋羽(しゅう)内野手は、父の教えを胸に新たな人生を歩もうとしている。

 幼い頃の秋羽にとって、野球と言えば「花巻東」だった。3歳を迎える2009年には、菊池を擁して選抜準優勝を果たすなど、甲子園で花巻東旋風が巻き起こる。幼稚園に通い始めると、彼女の遊び道具は、自然とボールやバットになっていた。

「野球をした最初の記憶は……たぶん幼稚園の5歳ぐらいの頃ですね。おもちゃのトスマシン、プラスチックのバットで、兄と一緒にボールを打ったのは覚えています」

 兄は、のちに花巻東に進み、現在は米スタンフォード大でプレーする佐々木麟太郎だ。秋羽は、兄の影響や父の勧めもあり、江釣子ジュニアスポーツ少年団に入った小学2年生の頃から左打ちにした。「その頃も、野球は花巻東の試合しか見ていませんでした」。

 身近にあった野球。2012年の花巻東は大谷が3年生を迎えて世間から大いに注目された。秋羽にとっても憧れのままだ。だが、「小さいころは本当に人見知りで……」と言う彼女は、たびたび甲子園で指揮を執る父ですら「テレビの人だった」と苦笑いを浮かべる。

 父と娘には、見えない“距離”があった。その関係に変化が訪れたのは、秋羽が小学5年生の時だった。父と2人だけで行った冬のゲレンデを思い浮かべて彼女は嬉しそうに語るのだ。

「ナイタースキーに連れて行ってもらったんです。監督さん(父)と2人だけで長時間を過ごしたのは初めてでした。それからですね、会話が増えて、距離が縮まった感じがしたのは」

楽しむことを忘れない女子野球の魅力を世界に広める

 自らの意志を貫いて入学した花巻東では、女子硬式野球部で「好きな野球」と真剣に向き合った。自宅から高校に通った秋羽は、父が運転する車で登下校することが多かった。

「監督さんが遠征に出かけたり大会期間以外は、ほぼ毎日。生活や野球のことなど、いろんな話ができた良い時間でした。今はすごく仲良くなりました」

 ニコッと笑みを浮かべる彼女に今、“人見知り”の姿はない。そして、彼女は「監督さん」と呼び続ける父についてこう語る。

「監督さんの生き方やいろんな経験を聞いてきました。すごい尊敬できる人だなと思います」

 幼い頃から父に言われ続けてきた言葉がある。「先憂後楽」。秋羽は「苦手なことや、やらなければいけないことを先にやって、そのあとに時間を自由に使って楽しむ。好きなことばかりやっていたら、きりがない」と理解する。高校生活では、帰宅したら真っ先に机に向かった。野球のトレーニングも行い、そのあとに自由なひと時を過ごした。父からの教え、そこにあった大切な時間を経て、秋羽は今、「いずれは指導者になりたい」と考えている。

「真剣な中にも、明るく笑顔で、楽しんで野球をやる姿があるところが女子野球の良さだと思います。見ている人に大きな影響を与えられる。いずれはクラブチームなどで教えながら、海外にも女子野球が普及する活動をしたいと今は思っています」

 秋羽はこの春から筑波大に通いながら、背番号「55」をつけて巨人女子チームの一員として野球を続ける。女子野球が持つ可能性、そこにある魅力を、まずは技術を磨きながらプレイヤーとして伝えていくつもりだ。

【比較写真】3人とも目元がそっくり… 父・佐々木洋監督、兄・麟太郎との比較ショット

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY