社長兼モデルの“超異色二刀流”…元DeNA右腕の今 4年で戦力外、短命で感じた現実

田村丈さんは一般社団法人アスリートプロを立ち上げ野球普及活動など行う
2019年まで4年間DeNAでプレーした田村丈さんは今、一般社団法人アスリートプロの代表理事として、野球普及活動やアスリートのキャリアサポートを行っている。2度の入団テストを経て育成でプロの門を叩き、2019年の現役引退後は球団職員、アメリカンフットボール転向と特異な人生を歩む男。実は福岡県内ではモデル活動もしており、社長兼モデルという超異色の“二刀流”で夢に邁進している。
幼少期から野球に打ち込み、20代後半で未経験のアメフトに挑んだ。「スポーツをずっとやってきて、スポーツを通して子どもに還元したい」と2023年8月に当時拠点としていた福岡県博多市内で一般社団法人を立ち上げた。まずは九州地区で、ソフトバンクの選手や九州にいるDeNAのOB選手と野球教室やランニング教室を行い知名度を上げた。事業は徐々に拡大し、1年半ですでに教室を17度開催。現在は九州、関東、関西と3拠点で活動するまでになった。
「若くして戦力外になる選手がたくさんいて、せっかくプロ野球選手になったのにクビになった瞬間に何をしていいかわからない人が全国各地にいる。そういう人が講師として来られる場所、野球に携われる場所をつくってあげられれば、それが子どもたちが喜ぶことにもなる。そういうのがあったらいいなと思って立ち上げました。野球しかやってこなくて、やっと手にしたプロ野球選手という夢が3年や4年で続けられなくなる。でもそこで終わらせてもらいたくない。プロ野球選手になったからこそ、その人たちにしかできないことを広めていきたいと思って活動しています」
田村さん自身、2015年育成ドラフト3位で入団したが、2019年限りで戦力外となった。ユニホームに袖を通していられたのはわずか4年。支配下は掴んだものの、1軍のマウンドは1試合のみだった。しかし「1軍に行っていなかった選手、2軍で頑張ってきた選手も全然需要がある。若い人はまだ動けるから実際に見せてあげられるし、そうすれば子どもたちも『凄え』ってなるので」と話すように、野球教室では現役時代に50メートル走5秒6を誇った俊足を披露するなど自ら手本を示して羨望の眼差しを浴びている。
昨年、福岡市内で「モデルとか興味ない?」と声をかけられ…
活動する上で根底にあるのは、これまで培ってきたスキルだ。引退後の2020年からDeNAの球団職員としてベースボールスクールのコーチを務めて子どもたちへの指導や接し方を学んだ。またベイスターズジュニアのマネジャーや、野球競技人口増加に向けた振興プロジェクト「DB.スターマンカップ」のリーダーを任され、イベント運営も学んでいた。
所属したアメリカンフットボールの社会人チーム「イコールワン福岡SUNS」では、協賛企業を集める営業活動を経験。「九州での人脈がなかったので自分から行動しないと出会えなかった」と選手でありながら交流会にも参加して人脈を築いていった。現在行っている野球教室も、自ら協賛企業を探して支援を得ることで子どもたちに無料で体験してもらうことができている。
「一番はマネジメント会社みたいにしたいと思っています。引退した選手が、このアスリートプロに関わったら仕事ができたり、セカンドキャリアじゃないんですけど、自分のキャリアを武器として持ってもらえるような会社にしたいです」と今後のビジョンを掲げる。「僕自身4年でクビになって、同じ気持ちの選手がいっぱいいるので」と語る姿は頼もしい。
32歳となり、精力的に動き回る田村さんにはもうひとつの“顔”もある。昨年、福岡市内での打ち合わせ中に「モデルとか興味ない?」とスカウトされ、タレントモデルエージェンシーに所属した。「やりたいですってノリで始めました」と笑うが、185センチの長身を武器に地域情報誌などの撮影も決まっているのだという。「たまたまです。でも今後も両方続けていきます」。プロ野球選手を終えても、多様な分野で走り続けている。
(町田利衣 / Rie Machida)
