球団の“通例”破って会見 菅野智之が11分間で発した強靭な気配…感じた奥行き【マイ・メジャー・ノート】

オリオールズ・菅野智之【写真:Getty Images】
オリオールズ・菅野智之【写真:Getty Images】

菅野はMLBデビュー戦で敗戦投手…両手の痙攣で降板した

 巨人からFAでオリオールズに移籍した菅野智之投手のメジャーデビュー戦は、5回の投球練習開始直後に訴えた両手の「痙攣(けいれん)」で無念の降板。球数は73球。4回4安打2失点で黒星スタートとなった。

 3月30日(日本時間同31日)、カナダ・オンタリオ州の州都、トロントは気温が下がりぐずついた天気。同様の天候が連日続き、ブルージェイズとの開幕カード4連戦の最終戦も、世界初の可動式屋根付き球場、ロジャーズ・センター(旧スカイドーム)の屋根は閉じられたまま。フィールドには人工芝が敷かれ、菅野は慣れ親しんだ東京ドームと変わらぬ環境でメジャーデビュー登板に臨んだ。緊張は「ちょっとだけしました」としたが、強張り気味の表情と体は通じていた。

「あんなに初回からストライクが入らなくなることは人生で一度もないんです」

 指先に意思を伝えられなかった。オープン戦でメジャートップの打率.373を残した1番ビシェットにストレートの四球。2死後、連続長短打で2点を奪われた。それでも粘り強さを見せ2回以降4回まで無失点に抑えた。そして不測の事態が起きる。

 5回に投球練習を開始した直後、異常を訴えた。菅野によると、4回の投球中にグラブの中の左手がつり始め「嫌な感じ」だった。その後、右手も徐々につり始め「1球投げたらもう指はくっついちゃっていたので、一回つってしまうともうどうにもならない」。ハイド監督、フレンチ投手コーチ、トレーナー、通訳が急きょマウンドへ向かい協議し、続投を断念した。巨人時代も手がつって降板した経験があるという。
 
 リズムをつかみ始めた矢先のアクシデント。無念の途中降板でメジャーデビュー戦での白星は手にできなかったが、菅野は前向きな言葉を並べた。

紋切り型で済ませず…11分間の会見で差し込んだ“皮肉”

「徐々にやりたいこともできていましたし、ストライク先行できたバッターに対してはおそらく向こうのいい結果にはなってないんじゃないかなって思っている」

「(メジャーの打者は)速いボールはセンターから逆方向にいって、浮いてきた変化球は引っ張り込むっていうバッティングなのかなと。そういうものも投げながら肌で感じることはできましたし、収穫もありました」

「どんな結果が出てもしっかりそれを受け入れるっていう覚悟はできていますし、もうちょっとできるなっていう部分もあった。いいところもたくさんあったので、次につながるとは思います」

 もちろん、反省点もあった。一番は初回の四球。内角を攻める意識がありながらも死球を怖れたことでボールを引っ掛けた結果だった。そこから心理は「早く追い込みたい」に傾き、真骨頂の「先に仕掛ける気持ち」を殺してしまう。立ち上がりの迷いがこの日の投球に影を落とした。

 日米報道陣が囲んだ約11分の会見で強く印象に残ったのは、紋切り型の優等生会見で済まそうとしなかったことだった。菅野はジョークを差し込んだ。といっても場を和ませるためのそれではなく、“皮肉”である。

「(次回登板は)つっただけなんで。そういうあなたたちが期待しているようなことにはならないと思います」

オリオールズ・菅野智之【写真:Getty Images】
オリオールズ・菅野智之【写真:Getty Images】

敢えて会見を開いたワケ「好き勝手に書かれてしまうので」

 さらに、オリオールズの広報は通例としてアクシデントなどで交代した選手は、試合後、取材対応しない旨を明かしていたが、菅野はファンのためが「9割」としながらも、テレビカメラを前に臆することなく言い放った。

「一回、自分の口から話さないと、好き勝手に書かれてしまうので話すことにしました」

 内側からの強靭な気配を発散しているのが伝わってきた。会見の終了直前、筆者は、初回の先頭に与えた四球で、間を作る意味でボールを交換する意識はなかったのか、に水を向けた。

「うーん、『こいつ、ボールのせいにしているな』と思われたくなかったので。ボールを替えたところで結果は変わらないので」

 真正直な答えが返ってきたが、この問いには文脈があった。

 メジャーの使用球は米大手のローリングス社製であるが、コスタリカの山奥で製造され、日本とは違い手縫い製である。なので、縫い目の感触はまちまちで、総じて、日本製よりも縫い目が高い。菅野は、指先と手首の力加減をキャンプで日々試行錯誤。登板前日、右腕は「ツーシームと曲げ球の力の調節に努めました」と教えてくれた。

 そして、ジム・パーマーの“ボール交換術”がある。オリオールズのテレビ解説者として地元ファンに絶大な人気を誇るパーマー氏はオリオールズ一筋で19年投げた本格派右腕。13度の2桁勝利のうち20勝以上が8度。驚異の数字で通算268勝を挙げ、3度のサイ・ヤング賞を獲得。1990年に米野球殿堂入りを果たしている。現役時代は細部に注意を払う完全主義者として有名だった。

 パーマーは、少しでもボールが手に馴染まないと何度でも審判に交換を要求したという。フロリダ在住の元審判員で今は後進の指導に尽力している某氏によると、仲間の審判員がパーマーを試そうと、彼が突き返してきたボールを腰の横に着けた収納ポーチにしまいこみ、試合の途中で投げ渡すと、なんと、パーマーは必ずそれを突き返してきたそうだ。某氏曰く「打者心理に何も影響を与えないわけがないさ」。

柔軟な思考…感じさせる投手としての奥行き

 菅野は、先の答えの最後にこう付け加えている。

「ま、そういう考え(ボール交換での間作り)もあっても良かったかもしれない」

「結果は変わらない」と言い切ったものの、すぐさま再考する柔軟さに投手としての奥行きを感じさせる。

 日本時代はよくボールの交換を要求したと言う菅野。念願のメジャーデビュー戦で完全主義を貫けなかったのはもったいなかった。ボールの切れ、制球、配球、駆け引き、そして間の創出など幾つもの要素を磨きあげ独自の投球術を身に付けている。遠慮はいらない。周りの目も気にする必要などない。

 巨人でエースを張ってきた菅野智之のメジャー初登板は、自分を冷静に見つめ直す貴重なものになった。

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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