一枚岩の3年生にかけた夏 無名高校が球史に記した「あと1つ」…人間教育が結実した快進撃

仙台城南の指揮を執る角晃司氏【写真:本人提供】
仙台城南の指揮を執る角晃司氏【写真:本人提供】

角晃司氏は2009年に仙台城南高の監督就任…重視した「人間教育」

 サラリーマン生活と決別し、49歳で仙台城南高の野球部監督に就任した角晃司氏が65歳の定年を迎え3月末で退任した。監督歴16年の白眉は、2023年夏の仙台育英との一騎打ち。準決勝までほぼ1人で投げ抜いたエースの登板を回避させたこともあり0-18の大差で散ったが、創部初の決勝進出は丹念に実践してきた“すき間教育”の結実であった。【全2回の後編】(取材・構成=木崎英夫)

 2009年5月の監督就任後しばらくして、角氏は7人しかいない3年生のうち1人を夏の大会登録メンバーから外す断行をしている。理由は明快だった。頻繁に練習をサボり学校生活の態度にも問題があったからだ。しかしその本人にはまったく自覚がない。「なぜ僕だけなんですか?」と投げかけるその選手に新任監督は穏やかに返した。「入れるべきではないと判断しました。それ以外に言うことはないですよ」。仏頂面で監督室を出て行った彼のその後は想像に難くない。

「うちは中学時代にレギュラーだった子の方が少ない。県内の強豪校のようにモチベーションを甲子園に置いて部内で熾烈な生存競争をするという意識は最初からない子たちの集まりです。学校も公立校の滑り止めです。正直、勉強への意識も高くはありません。野球にも勉学にも取り組む姿勢には甘さがあると感じていました」

 この状況を直視し、出した答えが「社会に出て役に立つ人間教育を大切にしていこう」だった。まずは覚えやすい礼儀、時間厳守、人と物への感謝を記した「日々の実践3か条」を部室の数か所に貼った。遠征先では食事をする際の上座と下座を教えた。スパイクとグラブの手入れも体育の授業と併用するグラウンドの整備も、丁寧にすることを求めた。

 ところが、夏のある日、角氏は想定外の光景を目の当たりにする。

 練習の途中でゲリラ豪雨が発生。やみかけると、何人もの選手が携帯で親を呼び出している。親が運転手と化していた。少子化の影響もあり、部員に限らず多くの生徒たちが親に甘えていることが分かってきた。後日、保護者との懇親会で角氏は臆することなくこう言い放った。「親バカは結構です。でも、バカ親にはならないでください」。各家庭それぞれの躾と教育方針の再考を促し「そのサポートをしていくのが監督とコーチの責務」と伝えた。

2023年夏の仙台大会で準優勝を飾った仙台城南ナイン【写真:本人提供】
2023年夏の仙台大会で準優勝を飾った仙台城南ナイン【写真:本人提供】

2023年夏、破竹の進撃で宮城大会決勝に進出…前年に全国Vの仙台育英と対戦

 就任から15年が経った2023年、角氏の思いが実を結んだ――。

 10人の3年生全員を夏の大会出場登録メンバーに入れた。うち5人はベンチウォーマーになることは明らかだったが、入学時から学業を疎かにせず日々の練習に精一杯取り組み、後輩を大切にしてきたことがその動機だった。岡村太貴主将を中心に出来上がった一枚岩は、同年春の県大会で初戦敗退となっても崩れはしなかった。そのチームの夏に角氏はかけた。

「僕は無神論者です。でも、野球には神様がいると本当に信じています。だから、彼らにはきっとご褒美をくれると思い続けていました」

 1回戦突破がチームを勢いづけた。2回戦で第2シードの仙台商を延長10回タイブレークの末に破ると、3回戦で前年準優勝の聖和学園に6回コールド勝ち。準々決勝で2年連続4強の古川学園、準決勝で秋3位の利府を撃破。そして、2022年夏に東北勢悲願の全国制覇を成し遂げた仙台育英との一騎打ちに挑んだ。結果は、0-18で玉砕。

「最後に野球の神様はご褒美をくれませんでした。けれど、あの戦いは歴然とした地力の差でした。沈むことなど一切ありませんでした。あそこまで行けたのもベンチにいた5人の3年生の無形の力があったからこそなんです。野球の神様から僕は一生忘れられない夏をもらいました」

安定したサラリーマン生活と決別…みちのくの地で実践した「すきま教育」

 17年ぶりに川崎の自宅で迎える春に角氏は何を思うのか――。

「実を言うと、試合に勝てば『自分よりもっといい采配をする人がいるのではないか』、負ければ『自分が監督じゃなかったら勝てたんじゃないか』の自問自答の繰り返しでした。でも、野球から離れようと思ったことは一度もありませんでしたね。ずっと野球が好きでしたから」

 安定した道に踵(きびす)を返し、あえて選んだみちのくの地。現実は厳しく理想は遠かった。が、学校でも家でも学べない「すき間教育」は多くのことを気づかせた。

 仙台育英に甲子園の道を断たれた試合後、球場を出ると、待ち構えていた懐かしい顔が口をそろえた。

「監督さんが口を酸っぱくして言っていたことが社会人になってから強く響いてきます。ありがとうございました」

 無名高の球史に残した「あと1つ」は、時世時節移り変わりの激しいひとの世で、普遍の価値をもたらした。

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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