6日間意識不明の悪夢…東大前監督が明かした壮絶闘病生活「20年分の記憶が飛んだまま」

始球式を務めた元東大監督・井手峻氏【写真:宮脇広久】
始球式を務めた元東大監督・井手峻氏【写真:宮脇広久】

東大前監督・井手峻氏が復活の始球式…2022年11月、練習中に倒れ2か月入院

 東京六大学野球春季リーグは19日、かつて中日の投手、外野手として活躍した“元プロ”で、東大の前監督でもある井手峻氏が連盟創立100周年記念の始球式に登板。81歳にして正規のマウンドから見事、“ノーバン投球”を披露した。一方で、人知れぬ闘病生活も明かした。

 第1試合の明大-東大1回戦のプレーボール直前。井手氏は東大在学時代の背番号「19」が描かれたユニホーム姿で登場した。右腕から放たれたボールは左打者の外角高めを通過し、ノーバウンドで捕手のミットに収まる。「あれくらいの球が行ってよかった。高校生の孫と練習してきましたが、本当に不安でした」と万感の思いで笑みを浮かべた。

 井手氏は東大在学中に投手として4勝を挙げ、1966年の第2次ドラフトで中日から3位指名を受け入団。東大出身者では新治伸治投手(1965年大洋=現DeNA入団)に次いで史上2人目のプロ野球選手となった。

 投手として1軍で通算17試合1勝4敗、防御率5.13をマークした後、外野手に転向。1976年までプレーし、通算359試合出場、打率.188(64打数12安打)、1本塁打2打点4盗塁の数字を残している。引退後も中日でコーチ、2軍監督、球団取締役、球団代表などを務めた。

 2019年11月には東大監督就任。2021年春季リーグで法大に1勝し、連敗を「64」で止めるなどチームを強化した。

 しかし、就任3年目を前に思わぬ試練に見舞われる。2022年11月、都内の東大球場で行われた新チームの初練習中に、脳炎を発症して倒れ、その後6日間も意識不明。入院は2か月に及んだという。東大硬式野球部の西山明彦先輩理事は「練習中に倒れたのが、不幸中の幸いでした。女子マネジャーがすぐにAED(自動体外式除細動器)で応急措置を行い、他の部員も人工呼吸などを施しました。もしお一人でいらっしゃる時だったらと思うと、ぞっとします」と振り返る。

2023年11月に監督退任、在任中の記憶は断片的にしか残っていないという

 チームは井手氏が病気療養で欠場している間、大久保裕助監督が監督代行を務めたが、2023年11月に正式に監督就任し、現在に至っている。退任を余儀なくされた井手氏は「皆さんに申し訳ないことをしましたが、当時は体調が酷かった。実は今も、倒れるまでの20年分くらいの記憶が飛んでしまっていて、よほど強烈な記憶以外は思い出せないのです」と明かす。中日のフロント時代以降の記憶は、東大監督在任中のものを含めて断片的にしか残っていないという。

「倒れる半年前に、妻を亡くしました。それがショックだったのかもしれません。妻の葬儀とか、嫌なことは全部忘れました」とも吐露する。それでも体調は徐々に回復し、体がボールの投げ方を覚えているのか、81歳のノーバウンド投球は驚異的だ。

 井手氏の監督退任後も、東大は進化を続けている。今年の4年生では酒井捷外野手と渡辺向輝投手の2人が、現時点でプロ入りを志望している。東大出身プロ野球選手はこれまで6人に上るが、後に野手転向した井手氏を含め、全員が投手としてプロ入りしており、野手として指名された例は皆無。「先ほど酒井捷くんと握手をしましたが、分厚い手をしているのが印象的でした。野手として評価されるのは難しいですが、頑張ってほしい」とエールを送った。

 東大出身プロ野球選手としてピカイチの実績を誇り、指導者、フロントとしても活躍した井手氏の存在は、まだまだ、まぶしい輝きを放っている。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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