13人からの野球部で始動、復興のシンボルへ…大谷龍太監督に滲む矜持、岩手への恩返し

復興のシンボルでもあるトヨタ自動車東日本で貫き続ける野球の道
ベンチの左端に立ち、彼は凛とした表情でグラウンドを見つめる。社会人野球では今、日本選手権対象のJABA大会が各地で行われているのだが、今年から新監督の下で動き出しているチームもある。その一人が、トヨタ自動車東日本の大谷龍太監督だ。ドジャース・大谷翔平投手の実兄という話題性だけが先行しがちだが、彼は社会人野球という世界に根を張り、地元・岩手への想いも抱きながら、真っすぐに突き進むのだ。
岩手県の内陸部にある金ケ崎町を拠点とするトヨタ自動車東日本が誕生したのは2012年のことだ。東日本大震災の翌年、復興のシンボルになろうと立ち上がったチームだった。同年秋の日本選手権予選から公式戦に本格参戦するのだが、工場勤務が多かった選手13人で動き出した当時は練習もままならい状況だった。大谷監督はチームの1期生でもある。創部から2年目ぐらいまで続いた夜勤明けや出勤前の朝に練習する環境を知る。今でこそ、昨年2024年3月に完成した専用の室内練習場が整うのだが、チーム発足当初は閉校した小学校の体育館を改装した室内や校庭跡地が練習の拠点だった。ゆえに、大谷監督は言うのだ。
「僕はずっと強いところ(チーム)でやってきたわけではないので、野球をやれることが当たり前ではないと思っています。野球ができることに感謝してやっていきましょうということは選手たちにも言っています」
企業スポーツは、会社や地域の理解があり、確かなバックアップ体制があってこそ成り立つ。練習環境の整備を含めたコスト面の支援もありながら、応援してくれる人々がいて部が存続できる側面もある。社会人野球に身を置く大谷監督は、そのことを実感するのだ。
岩手の水沢南中時代は軟式野球部でプレーした。一般受験で進学した地元の県立校である前沢高校では、打順は主に3番を担ったが甲子園は遠かった。ちなみに、大谷監督が高校3年生の2005年夏に岩手で優勝したのは、のちに7歳離れた弟・翔平が進んだ花巻東だった。高校選びで「花巻東の話がなかったわけではなかった」と、かつて大谷監督は教えてくれたことがあるのだが、いぜれにせよ、全国とは無縁の高校時代だった。卒業後は、地元企業に就職して工場勤務の傍ら、水沢市(現奥州市)を拠点とする社会人野球のクラブチーム・水沢駒形野球倶楽部で野球と向き合った。
「まだ、できる」。プレーヤーとしての可能性を信じ続けた彼は、四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスへ進む。野球をやるからには、夢だったプロ野球を目指したい。向上心に突き動かされて挑んだが、「毎日のように監督やコーチに怒られていましたね」と、苦笑いを浮かべて当時を振り返ってくれたことを思い出す。
大谷監督が目指す野球とは
2年に及んだ四国での生活。ちょうど3年目もチームと契約しようとしていた矢先に、岩手で社会人野球の新たな企業チームができることを知った。チームへの誘いを受け、“大谷龍太選手”は悩んだという。プロを目指すために、四国に残って野球に打ち込むべきか。それでも、彼は決断した。故郷の岩手で、新たな挑戦をすることを決めたのだ。今、創部14年目のトヨタ自動車東日本を率いる大谷監督は言う。
「生まれ育ったところに企業チームがあるのは幸せなことだと思っています。感謝しながら、何とかチームとして勝ちたいですね」
また、「社会人野球が盛り上がっていけばいいと思いますし、我々は東北、そして岩手のチームですので、そこが盛り上がってくれるのが一番ですね」とも語る。その言葉に、大谷監督の野球人としての本質が見えるのだ。
弟・翔平とは年の差もあり、一緒にボールを追いかけたことはほとんどない。花巻東時代の弟がプレーする姿を球場に観に行ったのも1度きりで、唯一の観戦試合は弟が迎えた高校最後の夏、岩手県大会決勝で涙した試合だった。兄弟ゲンカもしたことがないという。だからと言って、弟への思いがないわけではない。いつだって、兄にとっての弟は大切で可愛い存在なのだ。右投げ右打ちの外野手としてトヨタ自動車東日本の4番を担い、両手に熱量を持ってバットを振り続けていた時でさえも、周囲から弟の話をされて「ぜんぜん嫌だと思ったことはないですよ」と笑って話す彼の表情が印象的だった。
自らの野球人生を受け入れ、今こうしてチームを率いる立場となった大谷監督の目指す野球とは何か。
「こういう野球をやりたいというのは特にないんですけど、昨年までチームはディフェンス面で苦しんでいた部分があったので、バッテリーを含めて、失点を減らして行こうね、と。打者は、点を取るところはしっかりと取っていく。複数点は取っていこうねということは話しています」
東京スポニチ大会や日立市長杯大会では、大量失点で黒星を喫するゲームがあった。まだチームとしての課題は払拭されていない。社会人野球の大舞台は、夏に開催される都市対抗野球大会(東京ドーム)である。トヨタ自動車東日本が本戦に出場したのは創部7年目の2018年。第89回都市対抗野球大会に東北第一代表で出場して、コーチ兼外野手だった大谷選手は東芝との1回戦で1安打を放つも、1‐12の7回コールド負けを喫した。その悔しさも忘れてはいない。7年ぶりの夢舞台へ向けて、大谷監督の目には熱い思いが宿る。そして、彼はこうも語るのだ。
「会社の従業員のため、そして地域の方々のためにある企業スポーツだと思っていますので、そこはこれからもブラさずにやっていければと思っています」
そう語る姿に、社会人野球という世界でユニホームを着続ける大谷監督の矜持、そして内に秘めた「覚悟」を感じる。
●佐々木亨/ささき・とおる
1974年、岩手県生まれ。雑誌編集者を経て、2000年にフリーに。花巻東時代の大谷翔平投手が15歳のときから取材を続け、彼の成長と挑戦を見続ける。著書に「道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔」(扶桑社文庫)などがある。2024年に「Creative2」入社。高校野球、女子野球、社会人野球をはじめ、プロ・アマ問わずに野球の今を伝える。「standa.fm」での「佐々木亨の野球を歩く」など、ポッドキャストでも情報を発信中。
(佐々木亨 / Toru Sasaki)
