伝説のサヨナラ2連発も…「あれだけ」 広島ナインからまさかの“イジリ”「全然ダメ」

巨人・西本聖氏からサヨナラ本塁打を放った広島・長嶋清幸氏【写真提供:産経新聞社】
巨人・西本聖氏からサヨナラ本塁打を放った広島・長嶋清幸氏【写真提供:産経新聞社】

元広島・長嶋清幸氏、5年目の9月に2戦連続サヨナラ弾

 赤ヘル優勝シーズンにインパクト大の活躍だった。NPB初の背番号0をつけた元広島外野手の長嶋清幸氏はプロ5年目の1984年9月15、16日の巨人戦(広島)で2試合連続サヨナラ弾をかっ飛ばした。15日は西本聖投手、16日は江川卓投手と巨人の2枚看板を打ち崩した伝説の2発だ。8月下旬から10連勝するなど上昇ムードだった巨人に決定的なダメージを与えた。恐るべき勝負強さを見せつけたが、これには負けん気、鍛錬、策略など“陰の努力”があった。

 1984年10月4日の大洋戦(横浜)、3-2の9回裏、最後は大洋・屋鋪要外野手のフライをセンターの長嶋氏ががっちり捕球してゲームセット。広島の4年ぶりの優勝が決まった。古葉竹識監督の胴上げが始まった。1979年オフに私立静岡県自動車工(現・静岡北)からドラフト外でカープに入団して5年目。プロ1年目(1980年)にチームは優勝したが、その時は左足首骨折でリハビリ中。初めて迎えたグラウンドでの歓喜の瞬間だった。

 長嶋氏は「俺ってその年の(レギュラー)シーズンでは大して仕事できなかったでしょ」と言う。125試合、打率.276、13本塁打、43打点、11盗塁。「今の野球界で、.276、13本だったらいい選手って言われるよね。でも、あの時はショックだったんだよね。全然駄目だと思ってね。だから高橋(慶彦)さんとか、みんなにいじられるんですよ。『おめー、あの年(のシーズンで)は、“あれ”だけじゃないか!』ってね」と笑いながら話した。

 残した数字的にも決して『あれ』だけではなかったと思えるが、なにしろ『あれ』のインパクトは凄すぎた。9月15、16日の巨人戦での2試合連続サヨナラ弾。語り継がれる伝説シーンだ。15日は0-2の9回無死一、二塁で巨人・西本から逆転12号3ラン、16日は0-0の延長12回に江川からサヨナラ13号アーチを放った。この勝利で広島はマジック12を再点灯。3位からの大逆襲を目論んでいた巨人の息の根を止めた形になった。

 9・15の9回の打席では演技をしていたという。「(2点を追う無死一、二塁の)あそこで強打ははっきりいってリスクなんですよ。西本さんはシュートピッチャーだし、確率的にはすごいヤバい。最悪ゲッツーがあるわけだから。2アウトサードにしたらアホみたいじゃないですか。裏の攻撃だし、同点に追いつけばチャンスはあるわけ。だから俺もセーフティ(バント)かなって半分は思っていた。そしたら『打て』のサインだったんでね」。

 ここから長嶋氏はバントしそうな仕草を見せた。「見え見えのヤツをね。俺も一応策略家ですから。バットには結構パインタール(松ヤニ)とかをつけて滑りにくくしているんだけど、それを滑りやすくするために、サインが出たあとに土をつけはじめたりしてね。すると相手は“あ、セーフティくるか、引っかからないようにしているな”とかなるでしょ」。実際、巨人バッテリーはバントを想定していたと言われる。そしてガツンと一発、右翼スタンドに叩き込んだ。

広島などの4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】
広島などの4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】

「江川さんを打てたらプロ野球選手として成功、くらいの感じに」

「そういう演技はいろいろやった。誰かに『お前は打つ気満々の格好をしていたら、意外とセーフティやるよね』と言われたこともあった。情報として、バレるんで、今度は逆に打つ気満々でいると、相手はセーフティ違うかってなるでしょ。もう心理戦なんですよ。カープはそれもすごかった。選手同士で考えてやっていることがいっぱいあったからね」。ツワモノ揃いのカープで長嶋氏はそんな部分でも影響され、成長していた。

 9・16の江川からの劇的一発は、それこそ練習の成果でもあった。「初めて江川さんと対戦した時、タイミングをとっていつもと同じように振ったろうって思っていたらもうミットに入っていた。ちょっと待ってくれ、今、俺は普通に150キロくらいのタイミングをとったはずだよな、いやいやいや、これはやばいって思った。もうボールを離した時に振らないといけないと思って振ったら、こんな(高い)ボールを振っていた。これは無理。そこから“打倒・江川”が始まったんです」。

 負けん気は誰にも負けない。やられっぱなしではいられない。長嶋氏は気合を入れ直して練習に取り組んだ。「もう他のピッチャーのことは全然で、江川さんを打てたらプロ野球選手として成功、くらいの感じになっちゃった。とにかく“打倒・江川、打倒・江川”。どうやったら、あの真っすぐが打てるのかってね。マシンに自分がどんどん近づいて打った。こんな速さじゃない、もっと速かったとか言いながら(マシンとの距離は通常の)半分より前まで行っていたね」。

 練習を重ねても大難敵・江川からはなかなか満足行く結果を出せなかったが、諦めなかった。9・16のサヨナラ弾はそんな中での一撃だった。「その直前にカーブをファウル。ポールぎりぎり1メートルくらい。まぁ、そこまでの運はないわなぁと思った。何か納得しちゃった。ホームランとかそんな気は全然なかった。ただ、次は絶対に真っすぐ。もうあそこしかないってね、自分の中で。で、インサイド寄りのハイボール。詰まったんだけど、うまく押し込めた」。

 打球は右翼席に一直線。史上4人目の2試合連続サヨナラ弾だった。「江川さんから本当に打ったと言えるのは、あのホームランだけですよ」と長嶋氏は言うが、その一打が、あの場面で出るのが、すごいところだ。これをきっかけに「ミラクル男」と呼ばれたりもしたが、なによりも恐るべきは勝負強さだろう。こればかりはデータでは解析できない。「俺はいつも生きるか、死ぬかの気持ちで打席に立っていた」。やはり“見えないパワー”も大きな武器だったようだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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