中日の第一印象は「野蛮な人たち」 9歳には衝撃的すぎたシーン…初めて知った球団の存在

元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】
元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】

荒木雅博氏が中日と“出会った”衝撃シーン

 通算2045安打、華麗な守備、神走塁……。打って守って走って、プロ野球ファンを魅了した名選手が元中日の荒木雅博氏だ。1995年のドラフト1位で熊本県立熊本工から入団以来、ドラゴンズ一筋で現役23年を駆け抜け、引退後もコーチを5年務めた。野球評論家やアマチュア指導者としてプロ野球を外から勉強中の今も“中日愛”は熱いが、振り返れば、その“出会い”は、あの衝撃シーンだったという。

 2023年限りで中日コーチを退任し、“外部の人”になって2年目になる荒木氏だが「どこに行っても中日が気になります」と言い切る。現役、コーチで通算28年間、ドラゴンズのユニホームを着続けただけに思い入れは強い。1977年9月13日生まれ、熊本県菊池郡菊陽町出身。「中日の存在を知ったのは小学4年生の頃でしたね」と話す。

「よくオヤジがプロ野球中継を見ていたので、一緒に見ながら、野球って面白そうだなって思った。小学校の低学年くらいかな。オヤジとキャッチボールをしたのが野球を始めたきっかけですかね」。見ていたのは巨人戦だ。「それしかやっていませんでしたから。最初の頃は、選手を見ても、誰が誰とかは全然分かっていませんでした」。それでも自然と巨人ファンになったそうだ。

 そんな時に巨人の対戦相手として中日が強烈にインプットされる出来事があった。1987年6月11日の巨人-中日戦。舞台は、当時9歳の荒木氏の地元、熊本・藤崎台球場だった。「球場には行っていません。家で、テレビで見ていました」。衝撃シーンは4-0で巨人リードの7回裏2死二塁で起きた。5回から登板していた中日2番手の宮下昌己投手が、巨人4番打者のウォーレン・クロマティ外野手に投じた内角球。これが引き金になった。

 クロマティは体をひねりながらも、よけきれず背中付近への死球となり、怒って謝罪を求めたところ、宮下が応じる素振りを見せなかったことでヒートアップ。そのままマウンドに向かって走り出し、宮下の顔面に右フックをぶちかました。一気に両軍がマウンド付近に集まっての大乱闘バトル。中日・星野仙一監督は巨人・王貞治監督に右拳を突き出して「これ(パンチ)はいかんだろ!」と吠えるなど鬼の形相だった。

 これが中日を初めて認識した瞬間だった。「テレビで見ていたら、あんなふうになったんでね。あれで、乱闘を覚えたというか、野球って、こういうこともあるんだって思った。そこで星野さんとか中日の存在を知ったというか……。だって、それまでは中日の選手を知らないですから。宮下さんもそこで知りました」。巨人寄りに見ていたからだろう。「野蛮な人たちがいるなって思いましたよ」と笑いながら“第一印象”を口にした。

巨人への憧れもあり、高校は熊本工進学を希望

 そんな少年時代の荒木氏は、菊陽中部小1年から6年まで地区のソフトボールチームに参加。「毎年恒例の大会が4月とか、夏前までに2つ、3つあるんです。試合には2年くらいから出たのかな。確か3年と4年の時はキャッチャーをやっていたと思います。キャッチャーをやる人がいなかったからですけどね。5年からはピッチャー。6年の時とか、その前もあったと思うけど、優勝もしましたよ」。

 菊陽中では迷うことなく軟式野球部に入部した。ショートを守り、中学2年の時は菊池郡の中体連での優勝も経験した。中3の時はキャプテンも務めて3番打者だったという。特に目立ったのは走力で「足にはまぁまぁ自信がありましたね。盗塁は人よりはしていたんじゃないですかね」。陸上部にかり出されて、100メートル走などで大会にも出場。その頃から韋駄天ぶりを発揮していた。

 プロ野球の知識も増え、大ファンの巨人では同じ熊本出身の井上真二外野手と緒方耕一内野手に憧れた。高校は、そんな2人の母校である熊本工進学を希望した。「熊本で熊本工といえば、やっぱりそれなりに名の通った高校ですし、行きたいと思ったんです」。プロ野球選手になりたいという思いについては「そんなに僕はない方だと思っていたんですけど、(熊本工を)選ぶということは多少はあったんでしょうかねぇ……」。

 もちろん、その頃は、あの乱闘で知った中日・星野監督の下で、のちにプレーすることになるなんて思うはずもない。それこそ中日一筋のプロ野球人生を歩むことになるとは夢にも思っていなかった。「星野さんのことは、あの後も、珍プレーとかの番組で見てはいましたけどね」。今では深い間柄となった中日との“出会い”を思い出しながら荒木氏は微笑んだ。

【実際の画像】死球を投げた投手を助っ人が殴打…両軍大荒れの大乱闘シーン

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