低迷の西武台を復活させた河野創太監督の改革 完全分業制の18人体制「他力本願ですよ」

就任当初は低迷していた西武台、1年目は夏の1勝のみ
日体大を卒業してちょうど10年目、2014年4月に埼玉・西武台の保健体育科教諭として採用された河野創太監督は、同時に野球部の指揮も執ることになった。奇想天外な発想と独自の指導論、自らを異端児と呼び、既成概念にとらわれない姿勢は、埼玉の高校野球指導者にはいなかったタイプの43歳。ここまでの取り組みは斬新なものばかりだ。
西武台は埼玉でベスト8に入る実力校と聞いていた。「やりがいがあると意気込んで来たら、だいぶ低迷していました。前任の勝山(良男)先生も退職が決まっていたので、選手集めをしていなかったから部員は1学年10人ほど。人材確保が最優先でしたが、中学チームを訪ねても門前払いされ、もっと強くなってから来なさい、なんて言われたのを覚えています」。
初陣となった春の南部地区予選は1回戦で敗れ、夏は3回戦で屈した。新チームで臨んだ秋も地区予選1回戦負けと、1年目は夏の1勝に終わった。
だが2年目は春の地区予選で2連勝し初の県大会出場。夏の埼玉大会3回戦で2連覇を狙った春日部共栄を負かして驚かせる。秋は地区予選2試合に完封勝利、県大会は準々決勝で春日部共栄にリベンジされたが、2年目で早くも8強入りした。
就任6年目、2019年の春季県大会では1991年以来、28年ぶりのベスト8進出。「あれが自信になり、埼玉でやっていける手応えをつかみました。同時にそんなに勝てていなかったことにも驚きましたね」と振り返る。
指導は完全分業制で各部門にコーチを配置
秋季県大会でも23年ぶりの準優勝で関東大会へ参陣。8強に進み、1988年の第60回選抜大会以来、2度目の甲子園出場が期待されたが無念の補欠校だった。指導歴は決して長くないのに、短期間でチームを復興させた。どんな手法で結果を残したのか。
「他力本願ですよ」とジョークを飛ばして大笑いすると、「5年前から完全分業制で各部門にコーチを置きました。投手と捕手、内外野の守備と打撃のほか、フィジカルトレーナーや栄養コーチ、理学療法士ら18人体制です。私は監督というだけで、結果が出ているのは周りのおかげ。だから他力本願なんです」と言ってまた笑った。
横浜ベイスターズ(現DeNA)で6年プレーした兄・友軌が、昨冬から正式に打撃・総合コーチに就任。ドラフト1位でプロ入りした匿名希望の投手コーチも抱える。
堅守と走塁がチームづくりの根幹にある。昨春の県大会3回戦では、2安打ながら好走塁と無失策で浦和学院に逆転勝ちし、秋は県大会5試合で異なる4人の投手を先発させた。「守備でリズムをつかんで内野ゴロや好判断で進塁し、ノーヒットでも1点取れる野球を目指しています。守れればある程度の試合になる」というのがモットーだ。
「頼む、神奈川に行かせてくれ」ナインに懇願
2022年秋の県大会抽選会で正論を口にした。新チームは実力が未知数だが、長らくシード4校を投票で決めてきた。経緯や継続する理由などを理事に尋ねると、検討課題として持ち帰りになった。「誰のための投票シード制なのか、生徒に説明がつきません。周りは静まり返り、異端児と思ったでしょうね」。この制度は昨秋廃止され、直近夏季大会の4強がシードに収まることになった。
野球部の公式サイトに県高校野球の歴史を塗り替える、とある。そのココロを聞くと「埼玉と言えば浦和学院、花咲徳栄、春日部共栄、聖望学園、昌平、山村学園が頭に浮かびます。うちはサッカーが有名だが、西武台=野球に変えていくというメッセージです」と口元を引き締めた。
母校・桐蔭学園3年の夏の神奈川大会は、5回戦で東海大相模に敗れた。保土ヶ谷球場だった。
春日部共栄と対戦した昨秋の県大会準決勝。2点を追う9回の攻撃に入る時、「頼む、神奈川に行かせてくれよ」とナインにつぶやいた。勝てば保土ヶ谷球場が会場となる関東大会出場が決まる。死球と4安打で3点を奪い逆転勝ちした。
指導者としての喜びを尋ねてみた。練習の成果が試合に表れた時、と答えるだろうと高をくくったが……。
「自然とガッツポーズが出て、うれし涙と悔し涙がこぼれる時です。秋の動画や写真を見るとまさにそれ。準決勝では初めてうれし涙を流しました。練習の成果? 何も教えてないので考えたこともありません」
5年前からパイ投げが誕生日の恒例行事で、監督の顔面はクリームまみれになる。機知に富み、ユーモアのセンスに満ちた指揮官をナインは心底信頼している。
◯著者プロフィール
河野正(かわの・ただし)1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部でサッカーや野球をはじめ、多くの競技を取材。運動部長、編集委員を務め、2007年からフリーランスとなり、埼玉県内を中心に活動。新聞社時代は高校野球に長く関わり、『埼玉県高校野球史』編集にも携わった。著書に『浦和レッズ・赤き勇者たちの物語』『浦和レッズ・赤き激闘の記憶』(以上河出書房新社)『山田暢久 火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ 不滅の名語録』(朝日新聞出版)など。
(河野正 / Tadashi Kawano)