「父が打たせてくれた」天国への一発 6月に突然の別れ…オリ西野真弘の“胸中”

6月に最愛の父が他界…関東遠征ではお見舞いも
オリックスの西野真弘内野手が、野球の道に導いてくれた亡き父に感謝の思いでプレーを続けている。
「野球に興味を持たせてくれ、野球をやるきっかけを作ってくれ、野球を教えてくれた人です。ここまで僕が野球を続けているベースは、父なんです」。西野が時折、声を詰まらせながら明かしてくれた。
6月に父を亡くした。「小学校に入る前に、家にあったプラスチックのバットと柔らかいボールで遊んだのが、僕が野球を始めたきっかけです」という西野にとって、父は“コーチ”であり、高校の先輩だった。同じように野球を始めた兄とともに、父が投手として汗を流した東海大浦安高に進学した。西野は甲子園出場を果たせなかったが、国際武道大では明治神宮大会に出場、JR東日本では1年目に都市対抗野球で8強入りし、二塁手として社会人野球のベストナインに輝いた。アジア大会の日本代表に選出され、2014年ドラフト7位でオリックスに入団した。
2年目に全143試合に出場するなどの活躍ぶりにも、会社員だった父はあまり喜んだ顔をみせなかったという。「あまり感情を表に出す人ではなかったですね。自分の弱いところも見せないし、あまり褒める人でもなかったですね」。自分と同じ高校野球の道に進んだ後、プロで生きる息子の努力や厳しい世界を知るだけに、一喜一憂することはなかったようだ。
その父が、昨年、体調を崩した。関東遠征の際には入院中の父を見舞った。「会えば、いつも“指導”してくれるんです。フォームや打席での心構えとか。ベッドの上でも、どこででも」。テレビ観戦でいつも西野のプレーをチェックしてくれていたという。
葬儀、告別式のため、5試合、チームを離れた。岸田護監督や球団からは「心配せずしっかりと見送ってあげて」と温かい言葉をもらった。
チームに合流した翌日、6月18日の交流戦、中日戦(バンテリンドーム)に代打で出場し、追撃の口火を切る左前打を放った。以後、球宴までに出場した20試合で、安打のなかったのは6試合(うち4試合は代打)だけで、打率.351、11打点、2本塁打の活躍ぶり。7月18日のロッテ戦(ZOZOマリン)では5回に一時、勝ち越しとなる適時打を放ち、延長10回には無死二塁から三塁側へ絶妙のバント内野安打を決め、ビッグイニングにつないだ。
長打でも勝利に貢献している。7月1日の西武戦(セルラースタジアム那覇)で先制の2号ソロ、同4日のロッテ戦(ほっともっと神戸)では3号2ランを放った。沖縄ではホームインしてベンチに向かう際にそっと天を仰ぎ、ほっともっと神戸では本塁で出迎えた安達了一コーチとハイタッチした後、右手の人差し指を空に向けた。
「どちらも意識してそうしたんじゃないのですが、父が打たせてくれたように思いました。普段はホームランに縁がない選手なのに、打てたということは近くで見守ってくれているんだと」
巧みなバットコントロールで、左投手も苦にしない。3本塁打も自己最多タイ。それでも「シーズン当初、僕は何もできなかったんで、打つしかないんです。(本塁打を)打つ専門の選手がいっぱいいますから、本塁打は考えていません。1日、1日、結果を残す、もうそれだけです」。天国の父に見守られ、安打を重ねる。
○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者一期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。
(北野正樹 / Masaki Kitano)