希少がんと戦うオリ森友哉の親友 広がり見せる支援の輪…大阪桐蔭高の絆

オリックス・森友哉【写真:小林靖】
オリックス・森友哉【写真:小林靖】

高額な診療費用を自己負担…クラウドファンディングを開設

 大阪桐蔭高野球部出身で、希少がんで闘病中の元球児、福森大翔さんを支援する輪が大きく広がりをみせている。

「本当に多くの方々から支援をしていただき、ありがとうございます。大阪桐蔭高のOBやオリックス球団にも感謝しかありません」。福森さんの父、健さんが改めて支援に対する思いを口にした。

 福森さんは、2013年春夏の甲子園でオリックスの森友哉捕手と主軸として活躍。立命館大卒業後、大手ハウスメーカーに勤務していた約4年前に希少がんを発症した。現在は抗がん剤治療で、がんの進行を止めている状態。海外で承認されている新薬で治癒を目指しているが、健康保険範囲外の自由診療になるため、高額な費用を自己負担しなければいけない。

 治療費を集めるとともに希少がんに対する理解を深めてもらおうとクラウドファンディング(クラファン)を計画。今年2月に同校野球部OBで不動産業「SENSE TRUST」(センストラスト)の今中康仁社長に相談し、5月から募集を始めた。

 緩やかに始まった支援が一気に広がったのは、センストラストデーとして開催された6月15日のオリックス‐巨人戦(京セラドーム)で、福森さんが特別始球式で登板してから。同高ブラスバンド部も応援の演奏を奏でる中、抗がん剤治療の影響で、5㍍も投げられなかった福森さんのボールは、捕手を務めた森がジャンプして捕球するほど伸びた。

 試合は、オリックスが勝利し、ヒーローインタビューで森が「僕らも頑張ります。大翔も頑張って下さい」と声を詰まらせる場面がメディアで報じられると、それまで約1700万円だった支援が、7月末の締め切り時には約4000万円に広がった。

「今も『始球式で知りました』という言葉を添えて支援してくださる方が多くいらっしゃいます。大阪桐蔭高に進学してよかったと、本当に思います」と健さん。

「完全寛解をすることが支援してくださった方々への恩返し」

 実は、健さんは当初、大阪桐蔭高への進学に難色を示していたという。「当時は捕手でしたが、(同じポジションの)森君や久米君が入学するのが分かっていましたから、レギュラーになれるかどうかわかりませんでしたし」。花園の常連校の啓光学園(現常翔啓光学園)、大体大のラグビー部で活躍した健さんは、強豪校の競争の厳しさを身をもって知っていたからこその懸念だった。進路を決める家族会議で、福森さんはリビングで土下座をして「大阪桐蔭に行かせてください」と訴えたという。

「心配はしましたが、一人息子が自分で進路を決めた姿をみて、その場で認めました。入学後は選手ひとり一人に寄り添う指導をしてくださる(監督の)西谷(浩一)先生やコーチの方々をみて、大阪桐蔭高に進学させてよかったと思いました」と健さんは振り返る。

 その感謝の思いは、福森さんが病気になったことでさらに強くなった。「今中社長や岩田さん、西岡さんら大阪桐蔭高の絆の深さに感謝しかありません」。始球式までには森がキャッチボールの相手をしてくれたほか、同級生で野球アカデミー「夢道場」社長の久米健夫さんがトレーニングで支えてくれた。始球式には、大阪桐蔭高OBの元阪神・岩田稔さんや西岡剛さんも駆けつけてくれた。

 クラファンは、約4000人の人が協力し、約4000万円集まった。しかし、目標とする5000万円には届かなかった。今度は福森さんの小中学校の同級生が「福森さんを救う会」を結成し、クラファンを始めてくれた。福森さんが仕事で知り合った弁護士や税理士も、運営に協力をしてくれるという。

「必ずこの病気に勝つことを目標に取り組んでいます。(病変が確認できなくなる)完全寛解をすることが、クラファンに支援してくださった方々への恩返しだと思っています」と健さん。クラファンは10月中旬まで募集している。

〇北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者一期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY