ダルビッシュ”変幻自在”の奥義 異例の「肘下げ」でつかんだ歴代最多の日米204勝【マイ・メジャー・ノート】

日本人メジャーリーガーの先駆者からの「ええやん」
7月30日(日本時間7月31日)のメッツ戦で今季初勝利を挙げ、日米通算204勝目で黒田博樹を抜き日本選手歴代最多を更新したパドレスのダルビッシュ有投手。春先に発症した右肘の炎症などから復帰が7月にずれ込んだ。不安と戦いながら臨んだ復帰5登板目で7回を投げ2安打無失点7奪三振無四球の快投を演じた右腕は、3つの奥義を駆使して前人未到の領域に踏み込んでいった。その2つ目の奥義を探る。【全3回の2回目】(取材・構成=木崎英夫)
7奪三振は昨年9月22日のホワイトソックス戦で記録した9個以来最多となった。決め球の大半を絶妙なコントロールで「ボールゾーン」に投じ相手打線を翻弄。これが1つ目の奥義であるが、この日に披露した「変幻自在」もダルビッシュが極めた奥義である。
7月7日(同8日)の復帰登板から勝敗が付かない登板を一つ挟み3連敗中だったダルビッシュは、切迫した状況にありながらも変化をいとわない“らしさ”を投球フォームに映した。右腕の位置を下げたのだ。本人曰く「自分ではサイドスローに近いような感じで投げた」。
柔軟な姿勢を崩さず自らの投球を更新し続けるダルビッシュである。この変化もそれほどの難儀と感じさせない。だが、調整期間のキャンプでならまだしも、ペナント争いが佳境に向かう夏場に新たな投法に切り替えるのはそうそうできることではない。
肘を下げた理由はなんなのか。水を向けた。
「フォーム全体のタイミングであったりとか、自分の体の位置とかを見た時にちゃんとしていなかったので。それで肘を下げることで割とコンパクトになったというか、自分の中で納得できるフォームになった感じがしたので下げたというだけ」
米データサイトなどによると、右腕の角度測定結果はこれまでの平均よりも6~10度ほど低いという。オーバースローの本格派がサイドスロー気味の技巧派に変身し、真剣勝負を挑むという規格外の発想に彼の秀逸さがある。もっとも不安もあった。それを払拭したのが敬愛する野茂英雄氏だった。
イチロー氏が米野球殿堂入りの表彰式典に臨む2日前の7月25日(同26日)、パ軍の球団アドバイザーを務める野茂氏は、ニューヨーク州クーパーズタウンの野球殿堂博物館で開催される「日米野球展」の開幕式に出席。翌日にはサンディエゴに向かい登板を翌日に控えたダルビッシュとクラブハウスで再会。新たなフォーム映像を見た野茂氏は即答した。「ええやん」。短い言葉に右腕は背中を押された。

シーズン中のフォーム改造、試合中の足場変更も
壁にぶち当たれば、変化を恐れずに前進するのがダルビッシュの常。投球の一連動作の起点となる足元にもその意思が現れている――。
復帰4戦目となった7月24日(同25日)のカージナルス戦。2回に自身初の3ラン2発を食らい7安打7失点の大乱調。ダルビッシュは修正を図った。直後の3回、軸足をプレートの中央から従来の三塁側へと変えた。当初踏んでいた中央には根拠があった。復帰後のデータから「スライダー、真っすぐがゾーンの真ん中へ行っている」傾向が出ていたため、曲がりの終点を甘いゾーンからずらすため、踏み位置を中央へとスライドさせて投げるという意図だった。結局、これは奏功せず、中学時代から踏み慣れた三塁側へと戻したのである。
足場の変更を試合中に平然とできるところがダルビッシュの異才さでもある。
日本ハム時代の投手コーチだった吉井理人氏(現ロッテ監督)は、ダルビッシュが2012年にレンジャーズで果たした米国デビュー戦(2012年4月9日のマリナーズ戦)で、苦しみだした中盤にプレートの踏み位置を変えたことに言及している。「試合の責任を背負わされている投手がデビュー戦でなかなかできることではない」。オープン戦とは微妙に異なる――雰囲気、ストライクゾーン、マウンドの固さ――見えない敵とも闘っていたはず。その状況下での決断に嘆息した。重圧がかかる夢舞台の初陣で、白星を呼び込んだのは“スパイク一足分の大きな勇気”であった。
“変幻自在の奥義”につながる過去からの技術探究心
黒田博樹氏が持つ歴代最多の日米通算勝利数「203」を更新したダルビッシュは、肘位置の変化について「過去の引き出しから出したのか」という定番の質問にこう返している。
「なんでいきなり(右肘を)下げようと思ったのかなぁ……。ちょっと分かんないですけど、なんでかは。でも、過去にもやったことがあるフォームというか、そういう感じだったので。まぁいけるだろうということです」
本人が言うように肘位置の変化で目指した勝利は既に経験済みである――2022年の夏の終わりだった。ダルビッシュは右肘を下げ気味にして投げる、外角へ伸び上がるスライダーを持ち球に加え、2度目の自己ベスト16勝への追い風にした。
明度を欠く「なんでいきなり(右肘を)下げようと思ったのかは分からない」は、“変幻自在の奥義”が過去からの技術探究心と密接につながっていることの現れである。
<3回目に続く>
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)