菅野智之、35歳が乗り越えた壁 “点と線”の理論でつかんだメジャーでの2桁勝利【マイ・メジャー・ノート】

6、7月の絶不調から鮮やかな立て直し
14日(日本時間15日)のマリナーズ戦で10勝目を挙げたオリオールズの菅野智之投手。6回途中を3安打1失点に抑える好投で米移籍後初の4連勝を飾り、1年目の日本人投手として10人目の2桁勝利を達成。19日(同20日)のレッドソックス戦でも1失点(勝敗は付かず)の安定感を見せた。35歳右腕が乗り越えた6月の不振は、“高次脳機能”を使って練り上げる記憶力と大きくかかわっている。
野球人生初のボークで1点を献上した19日(同20日)のレッドソックス戦を終え、直近5試合で計28回1/3を投げ3勝0敗、防御率1.91、22奪三振とし、四球は6個で本来の安定感が戻った。開幕から「今季いちばん」と喜んだ6月3日(同4日)のマリナーズ戦までの12試合は防御率3.04だったが、そこから相手の研究も進み、その後の7試合で防御率は7.88に乱高下。夏場から菅野はまさに立て直した。
浮揚力はどうして付いたか。菅野はこれまでの会見で幾つかの要因――速球の球速と球威の向上、握りを変え切れが増した武器のスライダー、フォームの微修正で早くなっていた体重移動を改善。配球の組み立てには、築いた信頼から自分の感性も反映させる――を話しているが、7月下旬に経験した屈辱的な降板が、実は復調と因果の糸で結ばれていた。
後半戦初戦となった7月21日のガーディアンズ戦は4四球を出す乱調だった。今季自己最短タイの3回2/3で降板。しかし、この登板が再浮上への起点になる。「ピッチングが点から線になっていく実感を得た」。確かな手応えをつかんだ菅野は、以後の4登板で3つの白星を手にする。

復活を印象づけた“点と線”の配球
日本人投手史上、10人目の1年目2桁勝利を挙げた14日(同15日)のマリナーズ戦で“点と線”の素性が明らかになった――。
今年4月、史上19人目となる1試合4本塁打を放ったスアレスから奪った見逃し三振について問うと、菅野は表情を明るくした。
「(初球外角に)カット行って、インコースにシンカー(ファウル)をいいとろこに見せられたので。そのあとスライダー、スライダーで行って、外に意識をさせつつ、意表を突いて(シンカーを)インサイドに行った。あそこはいい攻めだった。その前の打席も生かせられたんじゃないかなっていうふうに思います」
スアレスの反応を1球1球見ながら組み立てた4球の“点”を、最後は、94.7マイル(約152キロ)の内角低め速球でつなぎ裏をかく“線”にした。ただ、この5球勝負は、僅か2球で仕留めた1打席目を伏線としている。
突っ込んだ上体で外角のカットボールを引っ張ったファウルを見て、スアレスは速球狙いと判断。2球目、迷うことなくタイミングを崩す外に大きく曲がるスイーパーを選択。スアレスは誘われるようにバットを出し捕邪飛に倒れた。2打席目に引いた“線”は、1打席目の凡打を基にした“点”から始まっていた。
菅野は、アウトを取るための意思決定をこうまとめる。
「前の試合からもずっとつながってきてる、前回の試合が駄目だったから次を大きく変えるんじゃなくて、前回(6月に対戦した)の試合も多分、シアトル打線は見てると思うので、それ(自己分析)も生かした上でまたきょうもピッチングができている。それをずっと何試合も続けられているのが線になっているかなっていう感じがして。すごく投げていて気持ちいいというか、あんまり窮屈になることが少なくなったなっていうのは思っています」

プロ1年目からモットーにしてきた「考える投球」
マリナーズから奪ったもう一つの三振も淀みなく振り返った菅野は、この日投じた81球を「全部覚えてます」と言うと、控えめな笑みを見せ、こう足した。「全部答えますよ」。短い2つの言葉は、データ主義野球に対する疑義の提示と受け取ることもできる。
東海大時代に157キロの剛球を投げドラフトの超目玉選手となった菅野は1浪の末に巨人に入団。常勝の宿命を負うチームで、長くマウンドに留まり勝機を作る投球が常に求められた。「ただぶん投げるのでは年間もたない」。衣替えをした菅野は考える投球をずっとモットーにしてきた。
データを読み解くことは技術向上と試合の戦略を緻密にするために必要である。だが、盲点もある。
短絡的にデータから切り抜いたものを配球にはめ込んでいくだけでは相手の変化に柔軟に対応しきれなくなる。データは狭窄的な「平面の情報」である。一方、過去の対戦、前の打席、そして前の球の打者の反応も組み立ての随時更新には欠かせない。観察と洞察からつかんだ「多面的な情報」を記憶に取り込むことで選択肢は増え最も適切なものを選び抜きやすくなる。
ある脳科学者は言った――「思い出さなければひらめかない」。捕手からサインを受け取り始動するまでの僅かな時間軸の中で、ずば抜けた記憶力と思い出す能力を余すことなく使い、菅野智之は“点と線”をつなぎ結んでいる。
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)