菅野智之、ダルビッシュと待望の再会 15分間の談笑で得た学び「全てがお手本」【マイ・メジャー・ノート】

敵地でのジャイアンツ戦に登板したオリオールズ・菅野智之【写真:ロイター】
敵地でのジャイアンツ戦に登板したオリオールズ・菅野智之【写真:ロイター】

菅野が敵地マウンドに感じた違和感「一番硬かった」

 8月31日(日本時間9月1日)のサンフランシスコで、オリオールズの菅野智之投手は味方の拙守などもあり苦投した。初回にソロを浴び2回には3連打と犠飛で2失点。4回には内野手の送球エラーと飛球を追った外野手が足を滑らせ転倒するという不運で4失点。今季ワーストに並ぶ10安打7失点で4回途中降板となりジャイアンツ相手に7敗目(10勝)を喫したが、敵地オラクル・パークの“土”が心理的に微妙な影を落とした。

 試合後の会見で、マンソリ―ノ監督代行は菅野をかばった。

「今日の投球は悪くなかったと思う。トモ(菅野)は良かった。ただ守備が足を引っ張ってしまった。守備で彼を助けることができなかったけれど、開幕からずっと、トモは我々にとって大きな存在だ」

 流れを相手に渡してしまったのは4回の拙守。1死一、二塁の場面で弱いゴロに猛進した三塁手ジャクソンが一塁へ悪送球(記録は安打と失策)し1点を献上。なおも1死一、三塁で左翼に上がったフライを捕球体勢に入った左翼手ジョンソンが足を滑らせて転倒。これが2点適時三塁打となり、後続2人に連打を許したところでマンソリ―ノ監督代行はマウンドへ歩み寄った。メジャーワーストに並ぶ10安打7失点。今季最短の3回1/3で降板となった。

 不甲斐ない今季26試合目の登板を菅野は淡々と振り返った。

「年間を通してやっていれば、こういう試合もあるし、守備で助けてもらうこともある。(考えたのは)ミスをカバーする、バックを信じる、その2つだけ。今日なんとか踏ん張ってああいうミスをカバーしたかったけど、これも野球だなというふうに思っています」

 拙守、拙攻、貧打、炎上……1人ではできない野球は互いのミスを補っていかなければ勝利に近づけない。菅野は、6月27日のレイズ戦で5回7失点の乱調だったが、味方打線が中盤から大爆発。終わってみれば21安打で22得点を挙げ22対8の大差で逆転勝利。菅野に6勝目を贈っている。

 今季最短降板とあって、囲み取材は淡々と終わりに向かっていったが、雰囲気が一転した。

「とにかくマウンドが今日はもうかなり硬くて。全球場合わせて一番硬かったです。で、ブルペンがかなり軟らかかった。水がかなりまいてあって、ちょっと緩いかなって思うぐらいだった。そこのギャップに僕は結構びっくりしました」

 菅野にとって、この日は敵地13試合目の登板だったが、マウンドはこれまでで一番硬く感じ、かなりの水がまかれていたブルペンとの違和感は相当だった様子だ。この点をグランド整備担当者に訪ねると「いつもと変わらない」の一言だった。

敵地でのジャイアンツ戦に登板したオリオールズ・菅野智之【写真:アフロ】
敵地でのジャイアンツ戦に登板したオリオールズ・菅野智之【写真:アフロ】

グラウンドキーパーの見解「試合ごとに微妙な調整はしている」

 9月1日(同2日)、オリオールズはサンディエゴでパドレスとのカード3連戦初戦を迎えた。その試合前、匿名を条件としてぺトコ・パークのグランドキーパーが質問に応じてくれた。

「他のどの球場も同じでしょうが、ブルペンとマウンドは常に同じ状態にしています。当然でしょう、違いがあったら投手の体に影響を及ぼしてしまいますから。でも…ビジターのブルペンにそんなに水がまかれていたというのはちょっとどうなんでしょう。解せませんが」

 彼は言葉を足した。

「これはどこのチームもそうだと思いますが、試合ごとに微妙な調整は皆さんしているんじゃないですか。例えば、先発マウンドに上がるその日の投手の要望には規則の範囲で応じることは我々もしますよ。でも、うちは中継投手までトータルで考えていますから、年間そんなに変わることはないですね」

 あの日のジャイアンツ先発は、サイ・ヤング賞を3度受賞している42歳のレジェンド、ジャスティン・バーランダーだった。変化球を多投し10三振を奪う力投で、2008年8月にランディ・ジョンソンが44歳で達成して以来の年長記録を樹立した。歩幅の狭い「立ち投げ」が特徴の長身右腕には、フォームの安定を保つために硬めのマウンドが「いいのは確かですね」と、件のグランドキーパーは口角を上に向けた。

 菅野が、サンフランシスコで経験したマウンドの真相は分からないが、この一件で脳裏に浮かんだことがある――。

 昨年暮れに他界した通算1406盗塁を誇る世界の盗塁王、リッキー・ヘンダーソンが「昔ね、遠征先のある球場では、一塁と二塁の塁間にぬかるみができるほどの水がまかれてね。そんな嫌がらせをされたっけ(笑)」と話したのを思い出す。後年、“ある球場”が、オリオールズのかつての本拠地「メモリアル・スタジアム」であることを知った。

憧れのダルビッシュ有(右)と談笑する菅野智之【写真:木崎英夫】
憧れのダルビッシュ有(右)と談笑する菅野智之【写真:木崎英夫】

ダルビッシュと再会「最高の時間でした!」

 菅野は憧れだったパドレス・ダルビッシュ有投手と再会を果たした。日本ハムのドラフト1位指名を拒否した浪人時代、プロ1年目そして10年ほど前は挨拶を交わした程度で、ダルビッシュと本格的に対面するのは初めてだった。

 心地よい海風が強い日差しを和らげる夏のサンディエゴで、菅野は翌日に登板を控えたダルビッシュと約15分間、笑顔の絶えない会話を満喫した。

「実は、僕が5年前にポスティングでメジャー挑戦をしようとしたとき、ダルビッシュさんは親身になって相談に乗ってくれたんです。あのときはパンデミックでしたから電話でした。以来、何かと気にかけてくださって、メジャー初勝利のときもそうだし、LINEを通じて節目には必ず『おめでとう!』て送ってくれるんです。そういう関係性ですね。憧れ? もちろんです。体も心も言葉も全てがお手本です、僕の。アメリカに来てその思いはさらに強くなっていますよ」

 談笑の中身は、ほとんどが配球についてのことだったと菅野は明かす。

「こっちに来て僕が戸惑った部分は配球です。日本はメジャーほどデータが揃っていませんから、打者を見てマウンドで自分が感じることを配球に反映させることが多い。ダルビッシュさんもその点は日本の投手はこっちより優れていると実感しているそうですが、実際、どういうコンビネーションが配球に効果的なのかなどを相談しました。最高の時間でした!」

 説明の言葉には、所々、ダルビッシュの言葉がそのまま混ざり込み、興奮が伝わってきた。今季最後の西海岸遠征はかくも貴重なものとなった。

 9月からチームは先発6人制のローテーションになり、菅野のメジャー1年目は残り4登板の見込みとなった。次回登板は7日(同8日)、本拠地でのドジャース戦。大谷翔平との勝負、そして先発が予定されている通算221勝左腕クレイトン・カーショウとの投げ合いに注目が集まる。

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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