誰にも言わなかった痛み止めの注射 近藤一樹が引退を覚悟した野球人生の決断

手術を繰り返し、投げ続けたマウンド
野球人生を大きく左右したのは、度重なる怪我との闘いだった。近鉄、オリックス、ヤクルトでプレーした近藤一樹氏がポッドキャスト番組「Full-Count LAB」に出演。オリックス時代に経験した2006年の肩の怪我が彼の投手人生における大きな転換点となったという。
「2006年に肩を痛めたときが大きな転機でした」。“昭和気質”という近藤は、痛みを隠して投げ続けた。しかし、この無理がたたり、複雑な怪我を負ってしまう。球団に内緒で個人的に病院通いをし、痛み止めの注射を打ちながらの登板は、体をボロボロにする結果となった。
ついに限界を迎えた近藤は、当時の大石大二郎2軍監督に「肩が痛いので、このシーズンお休みさせてください。もし、今年で駄目だったら諦めます」と申し出た。一度は現役引退を覚悟した瞬間だった。しかし、オフシーズンにオリックスから契約更新の連絡を受ける。「投げられない苦しさを経験したことで、その後は打たれても投げられることが幸せという考え方になりました」。
この経験が近藤の投手哲学を根本から変えた。防御率や勝敗よりも、「マウンドに立てること」自体に価値を見出すようになったのだ。2008年に自身初の10勝、翌年9勝と結果を残したのも、この心境の変化があったからこそだった。
しかし、肩をかばった投球が今度は肘に負担をかけることになる。2011年から4年連続で右肘の手術を受けることになった。
「シーズン中は投げながら、オフシーズンに手術とリハビリを繰り返していました」。4年間、手術は必要だが、シーズン中は登板を続けるという綱渡りの野球生活。これは並大抵の精神力では乗り越えられない試練だった。
怪我との向き合い方について、近藤は「怪我をしない体を最初に持っていればよかった」と語る。ただ、その一方で「怪我をしてしまった自分を見つめ直す機会になった」とも振り返る。
投げられない苦しさを知ったからこそ、投手としてはマイナス要素でもある四球でさえも「自分の実績」と捉えられるようになった。2016年途中にヤクルトに移籍して、中継ぎとして活躍するなど21年間もマウンドに立つことができた。この前向きな解釈こそが、長いプロ生活を支えた原動力だったのだろう。