予期していなかった“クビ宣告” 移籍先でタイトル獲得…近藤一樹に起きた運命的転身

ヤクルト時代の近藤一樹氏【写真:荒川祐史】
ヤクルト時代の近藤一樹氏【写真:荒川祐史】

2016年シーズンにオリックスからヤクルトに移籍

 戦力外通告にも似た、予期せぬ出来事がシーズン中にも起きた。オリックスやヤクルトで活躍した右腕・近藤一樹さんがポッドキャスト番組「Full-Count LABー探求のカケラー」に出演。「今年で終わりだよ」と宣告されたオリックス時代からヤクルトでタイトルを獲得するまでの劇的な転身劇を振り返った。

 オリックスでは2008年に自身初の規定投球回到達と10勝を達成し、翌年も9勝を挙げた。しかし、度重なる怪我により思うような成績を残せない時期が続いた。そして2016年、転機となる言葉を告げられる。

 交流戦でのある試合、近藤は先発マウンドに立ったが、初回に5失点を喫してしまう。この日の大量失点は近藤の運命を決定づけることになった。試合後、オリックスの編成担当者から呼び出された。告げられたのは、厳しい現実だった。

「君はこれ以上変わらなかったら今年で終わりだよ」。

 編成担当者からの冷静だが、はっきりとした通告だった。近藤は当時を振り返る。「2勝しているのに仕事ができなくなるんだと思いました」。先発としてここまでの2勝2敗という成績に満足していたわけではないが、そこまでの状況ではないとも思えた。ただ、1度の大量失点によって運命が決定的に変わった瞬間でもあった。

 16年シーズン。2勝2敗、防御率は8.24で迎えた7月だった。交換トレードでヤクルトへの移籍が決まった。はっきりと通告されたことも、この移籍も、功労者である近藤への最後のアシストだったのかもしれない。球団への感謝の思いは尽きない。

 ヤクルトは”先発投手として獲得だったが、蓋を開けると一度も先発することなく中継ぎに転身。「これも運命的なことで、チームの状況から中継ぎで長いイニングを投げる必要がありました」。2日連続で2イニングを投げて成功したことが、中継ぎ転身のきっかけとなった。

「Full-Count LAB」に出演した近藤一樹氏【写真:編集部】
「Full-Count LAB」に出演した近藤一樹氏【写真:編集部】

中継ぎの成功は日大三のV腕時代に伏線が

「とても楽しかったです」と振り返る中継ぎ時代。元々「人の勝利を消す」重い責任があると思っていた中継ぎだが、勝っている試合で投げる機会をもらい、良いピッチングをすると皆が喜んでくれる感覚が新鮮だった。

「自分が勝ちパターンの投手になるとは想像もつかなかった」。2017年シーズンでプロ初セーブを記録すると、中継ぎとしてフル回転し、54試合に登板、14ホールドを挙げた。

 近藤の中継ぎ成功を予見していた人物がいる。話は2001年、夏の甲子園で優勝した高校時代に遡る。日大三のエース時代、近藤は決して最初から優勝投手になれるような存在ではなかった。しかし、甲子園で近藤は成長した。その成長を裏付けたのは連投だった。当時の日大三主将だった杉山智広さんは「投げれば投げるほど近藤は力を発揮していた。なのでもしかしたらヤクルトではその能力が発揮されたのではないでしょうか」と振り返る。

 2018年はセットアッパーとして定着。勝利の方程式として1年間投げきり、前年、最下位だったチームの2位浮上に貢献。球団記録の74試合登板、35ホールドで最優秀中継ぎのタイトルも受賞した。

 近藤さんは2020年にヤクルトを退団後、四国アイランドリーグプラスで選手兼任コーチとしてプレーし、2022年に現役を引退。「怪我や挫折が回復力を養い、キャリアに対する新たな視点を培うのに役立った」と振り返るように、一見ネガティブに見える出来事も含めて、全てが今の指導者としての糧になっている。

 現在は野球解説者の活動のほか、大阪・桃山学院大学女子硬式野球部のコーチや、高校野球の外部コーチなど指導者としての歩みを進めている。最後まで諦めない姿勢によって、想像を超える物語を紡ぎ続けた。

【実際の音声】“戦力外寸前”だったオリックス時代 近藤一樹が明かした悲壮な覚悟

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