優勝直後…中日捕手に“悲劇” まさかの懇願「返して…」、消えた特注品

中日時代の中尾孝義氏【写真提供:産経新聞社】
中日時代の中尾孝義氏【写真提供:産経新聞社】

1982年の中日は最終戦でV決定、キャッチャー中尾孝義氏は小松辰雄投手と抱き合った

 日本のプロ野球の優勝名物といえば、胴上げ。今年の阪神とソフトバンクが歓喜の雄叫びをあげた。野球評論家の中尾孝義氏もプロ2年目の1982年に中日で扇の要としてリーグ優勝。「もう嬉しくて、嬉しくて。プロの優勝ってこんなに素晴らしいんだ、と。今までにない経験でした」。43年経っても昨日の事のように覚えている。同時に「もう、あんな事はないんじゃないかなぁ……」。“ハプニング”も起きていた。いったい何が――。

 1982年のセ・リーグ優勝争いは、中日と巨人が大接戦を繰り広げた。中日は9月28日にナゴヤ球場での直接対決で、延長10回7-6のサヨナラ勝ち。相手エースの江川卓投手から9回に4点ビハインドを追い付き、10回は抑えの角三男投手から大島康徳外野手の中前打で決着をつけた。首位・巨人とのゲーム差は1.5に縮まり、残り試合が「15」と多い2位ドラゴンズの方に優勝へのマジックナンバー「12」が点灯した。

 マジックが点灯したとはいえ、ほぼ負けが許されない状況が続く。まだ巨人有利の声も飛び交った。中日ナインも心身とも疲労困憊。それでも中尾氏は「しんどかったですけど楽しかった。『優勝できるかも』って、みんな気合が入っていた。イケイケでした」。優勝の2文字は、不思議なパワーをもたらしてくれたという。

 ドラゴンズは驚異的な集中力を発揮。大洋(現DeNA)とのシーズン残り3連戦の初戦を制し、ついに優勝に王手をかけた。だが、翌日は、本来のプレーができず1-3で黒星。「先発した三沢(淳)さんはベテランなんですけど、いつもと雰囲気が違った。打線も調子が悪かった。やっぱり誰もが硬かったんでしょう」。

 130試合目の10月18日は、最終戦でもあった。引き分け以上なら優勝で、敗れればすでに日程を終えている巨人がV。首位打者争いも懸かっていた。打率トップの大洋・長崎啓二外野手と2位の中日・田尾安志外野手との差は、僅か9毛。横浜スタジアムには3万の観衆が集まり、運命の大一番は午後6時20分に始まった。

 中日は2回に4番・谷沢健一内野手が右越えに先制ソロ。3回には一挙4点を奪い、早々と大勢を決めた。一方で長崎は欠場。大洋バッテリーはタイトルを確保すべく、田尾を5打席連続で敬遠した。田尾は5打席目に3ボールから、大きく外された2球に対して空振りする“抵抗”を見せた。「谷沢さんの一発で変な緊張が取れて、ベンチがウワーッと盛り上がりました。田尾さんの空振りは、そりゃそういう気持ちになるよなと感じていました。でも必ず出塁してくれる訳ですから、チームは優位に戦えましたよ」。

ファンもなだれ込み、もみくちゃの胴上げ…“一休さん”ヘルメットが「ない」

 8-0で迎えた9回、小松辰雄投手がマイク・ラム内野手を空振り三振に仕留めて完封。ボールを掴むや中尾氏は「プロテクター、レガース以外は全部放り捨てて」小松と抱き合った。中日関係者だけでなくファンまでが歓喜の輪を作り、おしくらまんじゅう状態に。「もみくちゃにされ、凄かったです」。当時は優勝決定時に観客が喜びのあまり、グラウンド内になだれ込むケースは再三あった。

 中尾氏は一息ついてベンチに戻ると、アレレと気付いた。

「ミットはあったんだよね。でもキャッチャー用のヘルメットだけはなかった。一生懸命に探したんだけど。用具係の人が持ってってくれたのかなと思って尋ねたら、『いや知らない』と。裏方さんだって胴上げでグラウンドに飛び出してますからね」

 当時の日本球界で、捕手用ヘルメットは画期的だった。専大時代に小林昭仁監督が中尾氏のために米国で入手し、社会人野球のプリンスホテルでも色を塗り替えて愛用。プロ入り後は、用具メーカーがそれを参考に特別に作成した。つばがないヘルメットを着用する姿から「一休さん」と呼ばれた。いわば中尾氏の“代名詞”で、「僕にとって分身とまでは言わないけれど、なくちゃいけないユニホームみたいな物です」。

 優勝インタビューで、中尾氏は感激を語った後に異例のコメントを付け加えた記憶がある。「先に近藤(貞雄)監督が『1年間戦った帽子なので返して下さい』と仰ったのです。監督は帽子を持っていかれたようで。それで僕も『もし誰か持っていかれた方がいらしたら、お願いです。返して下さい』と言いました」。

 日本シリーズ開幕は10月23日で、時間がない。体の一部とも言える“相棒”の行方を案じつつ、本拠地・名古屋へ帰った。すると2、3日後に戻って来た。「ナゴヤ球場に届いたんじゃなかったかな。いやー、ホッとしましたよ。他にはないヘルメット。ずっとそれでプレーしてきましたから」。

 中尾氏はリーグMVPも獲得した1982年を改めて振り返る。「それにしても何でミットはあったんだろう。普通、ミットを持っていくでしょ」と笑いつつ、「日本シリーズには間に合いました。ちゃんと戻して頂いて有難かったです」と感謝するのだった。

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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