重すぎた“阪神ドラ1”「誰かに見られている」 気にしすぎた世間の目…陥った自意識過剰

阪神などで活躍した湯舟敏郎氏【写真:山口真司】
阪神などで活躍した湯舟敏郎氏【写真:山口真司】

元阪神の湯舟敏郎氏が痛感したレベルの高さ「プロは違う」

 想像以上だった。阪神ドラフト1位左腕の湯舟敏郎氏(野球評論家)はプロ1年目の1991年、これまでに経験したことがない状態に陥ったという。「いつも誰かに見られている気がして……」。人気球団ならではの“重圧”だった。「自主トレからシーズンが終わるまで、最初の1年間は本当にしんどかったです」。プロの投手レベルの高さにも驚いたそうで、それこそ先発ローテ組には「勝てそうな部分がなかったです」と振り返った。

 虎のドラフト1位に決まった時から湯舟氏への注目度は一気に高まった。何をやっても話題にされ、何を言ってもそれなりの扱いで報じられた。阪神が人気球団なのは承知していたことだが「そこまでの覚悟はしていませんでしたよね」と苦笑する。1年目の自主トレが始まると、さらに気が抜けない日々となった。「初めは、もう自意識過剰だと言われてもしょうがないんですけど、みんなに見られているような気がして……」。

 テレビカメラに追われ、記者たちにマークされる立場。「今から思うと、本当はそこまで見られていないんですよ。でも、あの頃は勝手にそういう気になって……。何か気にしていたんですよね」。マスコミにコメントするだけでも神経を使うようになった。「質問に『そうですね』と答えたら、僕の言動になりますからね。だから、そうじゃなければ“違います。こうこうこうですよ”って言わないといけないのは勉強しましたね」。

 精神的にも大変な状況下でキャンプを迎えると、プロの投手レベルの高さも痛感したという。「麦倉(洋一、1989年ドラフト3位、佐野日大)と古里(泰隆、1989年ドラフト4位、福岡第一)が高卒2年目でいたんですけど、2人とも150(キロ)ぐらいの球を投げているんですよ。いやぁ、19歳がこんな球を投げるんやって、もうメチャクチャびっくりしました。ああ、やっぱりプロ野球は違うなって思いましたよ」。

プロ1年目は23登板で5勝、開幕3戦目の巨人戦で初登板

 同じ左腕で、2歳年上の先発ローテーション組の仲田幸司投手や猪俣隆投手にもさらに圧倒されたそうだ。「すごい球でしたからね。もうボールが違いました。速さとかはブルペンなんでわからないんですけど、(球の)勢いが違うんですよ。えげつない球でしたね。自分なんか比較にならないです。勝てそうな部分はなかった。猪俣さんもマイク(仲田)さんも僕より全然上にいたので、そこに勝負を挑もうなんてハナから思う気持ちはなかったです」。

 後輩もすごいが、先輩はもっとすごい。大卒社会人出のドラフト1位で24歳の湯舟氏には即戦力の期待がかかるだけに、その現実もまたプレッシャーになりそうだが「そういうのは自分にはなかったんですよね」と話す。「どれだけ自分はできるのかな。できへんでもしょうがないよね、くらいでいましたからね。まぁ、言ったら先発だったら、6番目の人にどうやって勝とうか、くらいですよ。考えていたとしても、それくらいでしたね」と振り返った。

 その一方で、対戦するプロの打者に関してはこう話した。「僕らが社会人の時は金属バットでしたから、9番の非力そうに見えているバッターもホームランを打ったりするけど、プロは木ですからね。主力とかすごい人は木を持っても金属くらいの飛距離、打球の速さですけど、守りが主の下位のバッターの人は、ちょっと失礼な言い方になるかもしれないですけど、それほど怖いわけではなかったですね」。

 自主トレ、キャンプ、オープン戦。初めてのプロ生活で、いろんなことに戸惑いながらも、湯舟氏は全力で駆け抜けて、開幕1軍切符を手に入れた。「ちょうど僕が入った年にゴロッと若手に変わったんですよ。特にピッチャー陣が。なので、(ドラフト)1位というので入れてもらえていたっていうのは感じていましたよ」と、どこまでも謙虚に話したが、必死になってプレーした結果であるのは間違いない。

 1991年シーズンの開幕3戦目、4月10日の巨人戦(甲子園)に先発で起用されてプロデビュー。3回1/3、4失点で敗戦投手と試練のスタートにはなったものの、それも糧にして次に向かって進んでいった。プロ1年目は23登板、5勝11敗、防御率4.66。人気球団のドラフト1位として、周囲からの視線を常に感じながら、18試合に先発した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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