拒否されたビザ「前例がない」 元WBC右腕が“意外な国”へ…野球と向かい合った5年間

自ら書いた手紙…自費で渡ったニュージーランド
ロッテなどNPBで13年間投げ続けた清水直行氏は現役終盤、膝が限界を超え、引退を決断した。その少し前、“浪人中”の2013年にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の解説を任された。そこでニュージーランドの野球の存在を知ったことが転機になった。
「(出身の)報徳学園も東芝もラグビーが強くて、高校の時も花園に応援に行きました。ニュージーランドと言えばラグビーだと思っていたけど、野球もやってるんだ、と」。調べてみると、親日的な国で国土の形も日本と似ており、時差もほとんどない。「もし野球連盟があるのなら、まだ僕も若いし、何かできるんじゃないかと思って、手紙を書いたんです」。
話はトントン拍子に進んだ。テレビ電話で話をして、まずは現地を訪問。飛行機もホテルも自費で、もちろん初上陸だった。「テレビ電話では『お前はシミズだよな? WBCでも投げていた、あのシミズだよな?』って聞かれました。現地でも『本当にシミズが来た』みたいな感じで」。
ニュージーランド野球連盟の関係者の意識は高かった。「他のスポーツと同様に、オーストラリアに負けたくないって。僕もアテネ五輪でオーストラリア戦に投げたけど、強いですよね(日本はオーストラリアに準決勝で敗れる)。でもそれくらいの情熱があって、じゃあ頑張ろうと」。最初のハードルはビザだった。「野球のコーチでビザを取る人なんて、これまでに前例がない。野球連盟の人たちが色々と推薦状などを書いてくれるんですが、提出しても戻されたり。何回かやり取りしてようやく通りました」。
ニュージーランドの野球には5年間関わった。その間、トップチームの投手コーチや育成世代の監督を務めた。言葉はそれほど壁にならなかったという。「なんとなく見ればわかりますよね。ボールを持ってきて『ショウミー』と球種を言われれば、握り方を聞きたいんだな、とか。そもそもある程度のルールさえ知っていれば、子ども同士で勝手に野球やりますし」。そして現在もNPB選手のニュージーランドでの自主トレを手配したり、さらにはニュージーランド航空のアドバイザーを務めるなど、関係は続いている。
「現役の時にメジャーに行きたかったけど、様々な理由で行けなかった。その頃から海外で子どもを育てたい、日本以外の環境を知ってほしい、という思いがありました」。家族全員で移住していた期間も長く、愛娘は現地で就職して現在に至っている。「年単位で住んでみると、良いことばかりじゃないですよね。旅行ではわからない日常とか、文化や慣習とか。日本と両方経験してみて、選ぶのは子どもたち自身ですから」。
新設球団の監督就任もまさかの事態「2年間何もできずに」
2018~19年は、古巣のロッテでコーチを務めた。「2年間とても勉強になりました。コーチとはどういう役割なのか、何ができるのか、と常に考えていました」。勝利を目指しながら選手を育成することにやりがいを感じる一方、不安も感じていた。「コーチという立場で、自分のやりたいことがどこまでできるのだろうかと」。そんな悩みを抱えているところに、沖縄の独立リーグ球団の監督として声がかかる。
しかし行先は独立リーグ、それも新設の球団。周囲には「先行きがどうなるかわからない」と止める人が多かったが、「勉強も兼ねて外に出させてください、とお願いしました。誰も通ったことのない道で挑戦してみたかった」。ただ、コロナ禍が活動の妨げになった。「2年間ほとんど何もできないまま終わってしまいました。世界中が直面した問題なので、誰が悪いわけでもない。どうしようもなかったです」。
多様な経験から、感じたことがある。「都心部と地方の間にはスポーツ環境の格差がある。それをフラットにしていきたい」。首都圏には多くのプロ球団が集まり、子どもたちは有名選手から野球教室などで指導を受けることがある一方、地方ではほとんどない。目を付けたのはバッティングセンターだった。千葉・袖ケ浦市の駅前に店舗をかまえ、平日打ち放題のサブスクを導入したり、中村紀洋氏を招いてトークショーを開催するなど、新たな試みを行っている。
「バッティングセンターは数百円で娯楽にもなるし、ちゃんとした練習にもなる。夏でも室内だから熱中症の心配なく楽しめます。他方で公園ではキャッチボールが禁止されて、部活動も減少傾向で、気軽に野球を楽しめる場所が減っている。野球環境を支えるという意味でも、これから地方に展開していけたらと思っています」
「僕は野球に育ててもらいました。事業性がありビジネスとして提案できる野球施設を作って、多くの方々に賛同してもらって、さらにそれが野球環境を整える一助になれば、最高ですよね」と語る清水氏。これからもまだまだ野球界に貢献するつもりだ。
(伊村弘真 / Hiromasa Imura)