松坂大輔氏から受けた“引退勧告” 恭平氏が明かした決断「頂点にいる人に言われた」

西武時代の松坂大輔氏【写真提供:産経新聞社】
西武時代の松坂大輔氏【写真提供:産経新聞社】

松坂恭平氏は休職して独立リーグに挑戦…NPBを目指した

 松坂大輔氏を2歳上の兄に持つ松坂恭平氏(株式会社ONE4ALL代表取締役)は法大を卒業後、大手スポーツメーカーに就職した。しかし、プロ野球選手への夢を捨てきれずに休職し独立リーグに挑戦。周囲から応援の声が届くなか、ただ一人「やめろ」と進言したのは兄だった。ポッドキャスト番組「Full-Count LABー探求のカケラー」でその背景と大輔氏の真意を明かした。

 法大野球部でプレー後、世界的に展開する大手スポーツメーカーに就職。スポーツマーケティング部で野球選手のサポートを担当した。毎日、憧れの世界に近い場所で働くうちに「思いがどんどん強くなって、もう絶対こっち側(プロ野球)に行きたい」と夢が再燃した。

 入社1年目ながら休職し、2005年11月に行われたトライアウトで四国IL・愛媛に入団。年間90試合という過密日程の中、プロ2軍との対戦機会にも恵まれた。試合に出続けることで「勝手にちょっとずつうまくなっていく」のを実感したが、2006年のドラフト会議では声がかからなかった。それでも成長を実感していた恭平氏は、会社に戻ってスーツ姿で再び頭を下げた。「もう1年やらせてください」。会社は再び理解を示して送り出してくれた。

 2年目も戦い抜き、レベルアップを感じながらもドラフト会議で指名されず。ロッテが独立リーグの選手を対象に開いたトライアウトにも挑戦したが不合格だった。それでも主に遊撃のレギュラーとして活躍していた恭平氏を、周囲の仲間たちは「もう1年やれよ」と後押しした。まだ可能性はある。そう信じたかった。当時25歳。3年目をプレーすれば26歳になる。揺れる気持ちを抱えながら、恭平氏は最後に最も信頼する人物に相談することにした。兄の大輔氏だった。

 品川プリンスホテルで兄と向き合った。普段は電話でのやり取りが多い中、この日は直接会って話をした。いろんな人に相談し、誰もが「やれ」と応援してきたなか、大輔氏だけは違った。ただ一人、「やめろ」と告げたのだ。「お前の実力をいろんな人に聞いた。来年26歳になるお前が、仮に育成で入ったとしても即戦力にならないといけない。あと1年でなれるの?」。

Full-Count LABに出演した松坂恭平氏【写真:編集部】
Full-Count LABに出演した松坂恭平氏【写真:編集部】

兄・大輔氏から「一生懸命働いた方がいい」

 高校卒業後すぐの実力なら可能性はあったかもしれない。しかし今の年齢と実力では“可能性”は見えない、と。「何年かでクビになって、今苦労してる人たちはたくさんいる。ただお前は幸いにも休職させてもらってるんでしょ? だったらそこで一生懸命働いた方がいい」。兄だからこそ言えた飾らない“引退勧告”だった。

 言葉の重さに恭平氏は引退を決意した。「一番近い人に言われたので、仕方ないなと思いました。決断に一番影響力を与えましたね。ただ一人でした。プロの頂点にいる人から言われたらね……身内でもあるし」と夢との“決別”を振り返った。しかし、夢を追いかけた2年間は、決して無駄ではなかった。独立リーグという素晴らしい環境で全力を尽くした。2年間のプレーを経て、次のステップへ進む覚悟が芽生えた。

【実際の音声】兄・松坂大輔氏から「やめろ」 弟・恭平氏が決断した現役引退…明かされた“リアル”なやりとり

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