33歳で引退も「群を抜いてダントツ」 “投手3冠級”の素質…阪神コーチが忘れぬ右腕

湯舟敏郎氏が明かす、阪神2軍投手コーチ時代に印象に残った投手
近鉄時代の2001年に現役を引退した湯舟敏郎氏(野球評論家)は、2002年と2012年から2014年までの4年間、古巣の阪神で2軍投手コーチを務めた。「若い人らが育っていくのは楽しかったです」。関わった投手は数多いが、同じ左腕は特に気になったという。阪神で活躍を続ける岩崎優投手、岩貞祐太投手、島本浩也投手が登板すると「今でも力が入って見ちゃいますよね」と笑う。2025年、ぶっちぎりでセ・リーグを制覇した藤川阪神への思いなども語った。
湯舟氏は阪神から近鉄に移籍した1年目(2001年)の宮崎・日向キャンプでイップスを発症。本来のピッチングができなくなり、つらい日々が続いた。主にリリーフで37登板、1勝0敗、防御率5.35。球団から戦力外通告を受け引退を決意。プロ野球選手生活に11年でピリオドを打った。2002年からは星野仙一監督率いる阪神の2軍投手コーチに就任。1年で退団し、その後はネット裏からの評論家活動などをスタートさせた。
2012年シーズンからは阪神2軍投手コーチに復帰し2014年シーズンまで務めた。「若い人たちが育っていくのは楽しかったですね。手助けができたか、となると疑問ですけど、何か感じてくれるのは喜びのひとつでした」。なかでも岩崎、岩貞、島本は印象深いそうだ。「まぁ、左(投手)というのは特に気になっちゃいますね。今でも投げるのを見ると力が入ります。疲れているのがわかっても、正面をついてでも何とかアウトをとってくれないかなあってね」。
右腕では秋山拓巳投手(2024年引退)。「秋山は群を抜いてダントツによかったです。ファームでは無敵でほぼ打たれなかった。まぁ今で言えば、(阪神)村上(頌樹投手)クラスでよかったと思う。僕、村上のファーム時代を知らないので、キレを比べることはできないですけど、村上もファームではそうだったんじゃないかと思う」。
多くの投手を指導したが、ある時、こんなこともあったという。「誰だったか、忘れましたけど、ブルペンにあまり入らない選手がいたんです。ブルペンって基本的には、まずこういうボールを投げられますよっていう品評会みたいなもん。例えば、1軍投手コーチが来たときに投げないと、見てもらえる瞬間を逃してしまう。だから(その選手に)『ブルペンも活用しないといけないよ』と言ったことがありましたね」。
契約満了で阪神を2014年限りで退団後は再び評論家としてプロ野球界に熱い視線を送る。2020年からは母校の奈良学園大(旧・奈良産業大)のアドバイザリースタッフも“兼務”。「最初は3か月に2回くらい行っていたけど、今は年に数回という感じです」と話すが、2025年6月の全日本大学野球選手権大会にも7年ぶりに出場した後輩たちの成長には目を細めるばかりだ。
「野球を見させてもらって、それが仕事になっている。いつか終わりは来るんでしょうけど、そういう場に身をおけるっていうのは、ありがたいことだなと思っています。見ながらいろんな勉強をさせてもらっているのは面白いですよ。それが1年でも長く続けば、うれしいことですね」。選手→コーチ→評論家→コーチ→評論家・奈良学園大アドバイザリースタッフと、その野球人生は立場を変えながらもずっと続いている。

阪神のリーグ制覇に「あんなに強くなるんやなぁ」
古巣は阪神と近鉄だが「近鉄はなくなりましたからね。バファローズというネーミングだけは残っていますけど……」。やはり選手として10年、2軍投手コーチとして計4年と縁があった阪神への思い入れの方が強い。2025年9月7日に2リーグ制以降最速となるセ・リーグ優勝を成し遂げた藤川阪神については「すごいですよ。あんなに強くなるんやなぁ、っていうのがねぇ。矢野(燿大)監督の頃から強いままですもんね」とうれしそうに話した。
弱くても、勝てなくても、黙々と腕を振り続けた。1990年代の阪神低迷期にエース格として“奮投”した湯舟氏が、もしも2020年代に投げていればどうなっただろうか。通算60勝の数字も違うものだった可能性もあるのではないか。巧みな投球術で知られただけに、そう思う人も少なくはないはずだが、湯舟氏は現在と過去の差について、こう“分析”した。
「今(のプロ野球)はピッチャーもバッターも優れている。僕はいい時代に入りましたよ。今のバッターを抑えるのは大変です。今のピッチャーはカットボールやスライダーで(厳しいコースに)ストライクを入れるじゃないですか。あんな球を投げていたら僕らの時代はまず打たれなかったけど、今は普通にバットを振りますもんね。技量はメチャクチャ上がっていますよ」。何事にも謙虚な湯舟氏はそう言って微笑んだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)