小6での“選外”が繋いだ縁「絶対に落ちた」 回り道を経て掴んだ憧れのユニホーム

日本ハムから5位指名を受けた明徳義塾・藤森海斗(左)と平井麗朱【写真:喜岡桜】
日本ハムから5位指名を受けた明徳義塾・藤森海斗(左)と平井麗朱【写真:喜岡桜】

日本ハムドラフト5位・藤森海斗 7年前にファイターズJr.に挑戦も、選考漏れ

 2025年春の甲子園に出場し、夏に侍ジャパンU18のメンバーに選ばれた明徳義塾・藤森海斗捕手が、23日に東京都内で行われた「2025年 プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」で、日本ハムからドラフト5巡目に指名された。小学6年のときに人生初の”指名漏れ”を経験。同校で6年かけて力を付け、やっと憧れの球団の一員になった。

 北海道札幌市で生まれ、根室市育ちの藤森は、大の巨人ファンの祖父を持ち、父・塁さんはプロのスカウトが視察に訪れたほどの腕前を持つ社会人野球・JR北海道の元選手。「2歳のときには野球あそびをしていました」と一番古い記憶に思いを馳せる。

 2歳上の兄・一冴さん(亜細亜大)の後を追い、幼稚園年少の頃から、父が監督になった「根室野球少年団」の練習に加わった。塁さんは「あいつは野球の試合を見るのが苦手で、常にボールを触っていたいタイプ。いろんなポジションを経験させましたが、ピッチャーだけは苦手で、それより野手の動きをしながら投げるのが上手かった」と語る。

 体操教室や水泳の習い事にも通い、父が駆け抜けてきた野球選手への道をなぞるように歩き始めた少年は、7年前、北海道在住の小学5・6年生によるセレクションを突破した16人からなる「北海道日本ハムファイターズJr.」の選考に挑戦していた。

明徳義塾・藤森海斗【写真:喜岡桜】
明徳義塾・藤森海斗【写真:喜岡桜】

最終審査は「やっぱり落ちていました」、渡された名門・明徳義塾への切符

 動画審査、2次セレクション、3次セレクションを通過し、最終審査は「ミスした上に、三振。絶対に落ちたと思ったら、やっぱり落ちていました」。今や明るく話しているが、当時はがっかりした。だが、この挫折がキーマンとの縁を繋いだ。同セレクションを受験し、のちに北海道選抜でチームメートになる、同じ歳の平井麗朱内野手だ。

「僕も最終選考で落ちてしまったんですが、セレクションで藤森が目に留まりました。そのあとの北海道選抜では藤森がキャプテン、僕が副キャプテンをすることになって、話すことも多く、ご飯を食べる場所も近くて、だんだん仲良くなったんです。選抜の中でも特にレベルが高くて、センスを感じる部分がたくさんありました」

 投手兼遊撃手として全国8強の結果を残し、すでに明徳義塾中への進学が内定していた平井は、藤森のことを知れば知るほど「こういう人と一緒にまた同じチームでやることができれば、自分の向上心に繋がる」と思うように。ついには同中の部長に推薦した。

 プロへと続く明徳義塾での6年間は、2人の出会いなくして実現しなかった。7年前には選んでくれなかった日本ハムからの指名について「こみ上げてくるものがありました」と平井が涙ぐめば、藤森も「僕の名前出してくれたことがこの結果に繋がった」と感謝する。飛行機の直行便がなく片道だけで10時間を要する高知で、あの日の雪辱を晴らした。

(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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