巨人ドラ2→近鉄右腕の松谷竜二郎氏 異国に架ける100本の橋…掲げる思い「恩返し」

巨人や近鉄でプレーした松谷竜二郎氏【写真:北野正樹】
巨人や近鉄でプレーした松谷竜二郎氏【写真:北野正樹】

巨人、近鉄でプレーした松谷竜二郎氏

 巨人、オリックスバファローズOBで、2軍戦のオリックス選手にMVP賞を設けて若手を支援している総合企業「スチールエンジホールディングス」の松谷竜二郎代表取締役が、ベトナムの生活道路に橋を100本架けるプロジェクトを進めている。

「年間、2本ずつくらいやって50年かかりますが、僕がいなくなった後も誰かが引き継いでくれたらいいと思っています」。9月下旬、表彰のために訪れた杉本商事Bs舞洲で松谷さんが静かに口を開いた。

 松谷さんは、大阪府出身。大阪市立高校(現・大阪府立いちりつ高校)から大阪ガスを経て、1988年ドラフト2位で巨人に入団した右腕。3年目の1991年に初先発した5月22日のヤクルト戦では1失点で完投勝ちし、2戦目も完投勝利を挙げた。しかし、右肩を痛め、移籍した近鉄でも1996年の1勝にとどまり、通算59試合登板、4勝4敗1セーブでプロ生活を9年で終えた。

 34歳で現役引退後、巨人の先輩にあたる藤田元司監督、末次利光コーチの紹介で建設会社に就職。数年後に会社が経営難に見舞われ、同僚と休眠状態の建築関連会社に移り、2003年に社長に就任した。プロ野球から新しい世界に移った際、営業担当だったが現場作業も覚えるためにヘルメットをかぶり建設現場に足を運ぶ現場主義が経営者になって役立った。

 社長就任後、スポーツの支援にも力を入れ、2019年からは、ジャイアンツ球場で開催されるイースタン・リーグ公式戦で活躍した巨人選手に「ヒーロー賞」を提供。2022年からはスチールエンジグループ(SEG)からオリックスの2軍選手を対象に「月間MVP」などの表彰を行い、第1号は翌年に9勝を挙げ新人賞に輝いた山下舜平大投手だった。

 ベトナムに橋を100本架けるプロジェクト「SEG BRIDGE100 JAPAN FRIENDSHIP ASSOCIATION」は、2023年10月から始まった。2018年から採用したベトナムを主とする海外国籍の社員が100人を超え、国際貢献の一環として野球で現地との交流を深めようと考えた。しかし、サッカー人気が高くて断念。摸索していたところ、ベトナム関係者から大雨で生活道路の橋が流され、陸地を大きく迂回する生活を余儀なくされているケースが多いと知った。橋がないため、小さなボートやロープのついた浮輪を引っ張ってもらって川を渡る子どもが命を落とすケースもあると聞き、橋を架けることを決めた。

ベトナムに架かった友好の橋【写真提供:スチールエンジホールディングス】
ベトナムに架かった友好の橋【写真提供:スチールエンジホールディングス】

100本を目指し賛同企業や団体を募集中

 現地調査を経て、地元の民間会社に設計と施工を依頼し、2024年3月に最南部地区のメコン川南部のメコンデルタに第1号の橋が架かった。2025年には第三者的な視点を求めて国立ホーチミン市工科大学とパートナーシップ契約を締結し、産学協同でプロジェクトが進むことになった。

 橋は幅3メートル、長さ30メートル。手すりのついた丈夫な橋が架けられたことで子どもたちの通学路が確保され、遠回りすることなく学校に通えることに。規模としては小さい橋だが、経済発展につながる大きな橋の建設が優先されるため、生活に密接する小さな橋は後回しになるそうだ。架かった橋は小さいが、地域に大きな安心と安全をもたらした。

「橋があることで、子どもたちがより質の高い教育を受けることができるようになりますし、命を落とす子どもたちも減ります。微力ですが、ベトナムに恩返しをしていきたい」と松谷さん。100本を実現するため、賛同してくれる企業や団体を募集中。プロジェクトを成功させるためにも、社業の発展は欠かせない。

 セカンドキャリアを経営者として歩む松谷さんは、オリックスの後輩らに「現役生活は短いものです。しっかりとした目標設定をして、妥協することなく一日一日を無駄にすることなく野球に没頭し、悔いのない野球人生を送ってほしい」とエールを送った。

〇北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者一期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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