田澤純一、ENEOS退団の真相 「ウソはつきたくない」39歳が模索する“新たな形”

ENEOSで選手兼任コーチを務めた田澤純一氏【写真:黒澤崇】
ENEOSで選手兼任コーチを務めた田澤純一氏【写真:黒澤崇】

10月7日にENEOS最終登板も…「このままでは終われない」

 レッドソックスなどで活躍した田澤純一投手が10月10日をもって、社会人野球・ENEOSを退団した。横浜商大高を卒業後、新日本石油(現ENEOS)からNPBを経ずして海を渡り、2013年にはレッドソックスのワールドシリーズ優勝に貢献。日本独立リーグ、台湾、メキシコと渡り歩いた後の2023年、再びENEOSのユニホームに袖を通した。

 復帰から3シーズン。退団の時を迎えた右腕が模索するのは、自らマウンドに上がりながら、唯一無二の野球人生で得た経験を後輩たちに伝える道だ。40歳を迎えるシーズンに向けて新天地探しに乗り出す田澤は今、何を思うのか。そして、“引退”への想いとは……。

 10月7日、川崎市営等々力球場でのこと。JABA秋季神奈川県企業大会2日目の第1試合、東芝を相手に1点リードを守るENEOSは6回、2番手として田澤をマウンドに送った。公式戦では今季初登板。加えてENEOSでは最終登板となる予定だったこともあり、少し力が入ったのだろう。先頭をフルカウントから歩かせると、2死後には右翼へ打球を運ばれ、2死一、三塁。同点のピンチを迎えたが、最後はフォークで遊撃フライに打ち取り、無失点で切り抜けた。

 1球投げるたびに「オリャッ!」と大きな声を響かせた。この日は最速144キロ。かつて最速156キロ、平均150キロの速球とフォークを武器にメジャーの強打者を斬り続けた姿とは違うが、手に持った1球に集中し、チームのために任された仕事を淡々と果たす姿は20年前から変わらない。

 ENEOSから田澤退団が発表された時、退団=引退と考えた人は多いだろう。ENEOSは田澤が投手として開花し、米球界入りのきっかけになった場所。そして、海外で経験を積んで日本に帰ってきた時に受け入れてくれた場所でもある。始まりの場所でキャリアに終止符を打つ大団円が、スッキリする流れになっただろう。

「僕も最初はENEOSで終わるつもりで入りました。確かにお世話になった場所で終わるのがベストだと思います。ただ、このままでは終われない、まだ投げたい、という自分もいる。そこにウソはつきたくないと思ったので、ENEOSには感謝しつつ、自分の意思を尊重させてもらうことにしました」

インタビューに応じた田澤純一氏【写真:佐藤直子】
インタビューに応じた田澤純一氏【写真:佐藤直子】

今季は兼任コーチとして、自らの経験を後輩たちに還元

 ENEOSに復帰後は故障やチーム状況もあり、公式戦での登板は片手で数えられるほどにとどまった。目を見張る実績があるとはいえ、実力主義の世界。十分アピールできなければ、他の選手がチャンスを掴んでいく。自分の置かれた状況を理解した上で、田澤は「自分が主軸でバンバン投げたいということではないんです」と言葉を続ける。

「主軸として投げるというよりは、自分が海外でやってきたことを踏まえ、その経験を色々な人に伝えていきたい。そのイメージを持ってENEOSにも入ったものの、なかなかできなかったので申し訳なく思っています。ENEOSが培ってきたスタイルに僕の経験をどう融合させるべきか、何が正解なのか、正直、頭を悩ませた3年でした」

 とは言うものの、3シーズン目の今季は投手コーチを兼任し、2年目のハッブス大起投手ら2投手を担当して成長を促した。田澤が意識したのは「どうしたら2人がグラウンドに楽しくいられるか」だったという。2人とも昨年は登板機会に恵まれず、モチベーションを維持することが難しい時期もあった。田澤はそれぞれと話し合い、各クールの始めに投球数やトレーニングメニューを設定。ゲーム性のある練習も交えながら「楽しさ」を加えた。

 選手と会話を重ねながら進むべき方向性を決めるスタイルは、米マイナー時代の経験が基になっている。コーチから与えられた課題に取り組み、意見交換をする中で「どんな投手になりたいか」「何に取り組むべきか」をより具体化させていく。練習中でも野球に関する私語はフリーとし、発言力を磨いた。「もし僕の言うことが以前と変わってきていたら、そこは遠慮なく言ってくれとも伝えました。そこには理由があるかもしれないし、僕がブレているだけかもしれない。僕に対するツッコミも含め、色々な意見交換をしました」と振り返る。

 兼任コーチの利点は、選手と一緒に練習に取り組めること。「毎日腐らず、自分がやるべきことをやっていこう」と、先頭に立って練習に励む田澤の姿は“生きた手本”でもある。ベテランになっても決して手を抜かずに準備を重ねる姿勢を高く評価するのが、2023年の第19回アジア競技大会で侍ジャパン社会人代表の指揮を執った石井章夫氏だ。ENEOS最終登板をスタンドからそっと見届け、「練習に取り組む姿を見るだけで勉強になる。アジア競技大会で一緒だった選手たちはみんな良い影響を受けたと思いますよ」と話す。

 ちなみに、ハッブスは140キロ台だった球速が最速152キロまでアップし、10月6日の秋季神奈川県企業大会・日産自動車戦で公式戦デビュー。来季以降のさらなる飛躍を期待されている。

「僕は大々的に『引退します』と言うつもりはない」

「自分の経験を踏まえながらコーチに取り組めたことは、自分の中で面白いと思える経験になりました」と言う一方で、「まだ投げたい」という思いもあるという右腕。「自分でも投げながら、海外で積んだ経験を色々な人に伝えていきたい。それを受け入れてくれるチームで、しっかりと野球を向き合い、貢献できると嬉しいですね」と、新たな一歩を踏み出す準備を進めている。

 この先、どんな野球人生が待っているのか。それは誰にも分からない。ただ一つ、田澤の口から引退宣言が飛び出すことはなさそうだ。

「僕は大々的に『引退します』と言うつもりはなくて、自分が『もういいや』と思った時に、そのまま静かに終わっていけたらと思っています。今はもう少し野球をやりたいし、野球と向き合いたい。その気持ちを大切にしたいなって」

 田澤が歩む唯一無二の野球人生は、「投げる」ことに「伝える」ことを加えた新たなスタイルで続いていく。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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