“グラウンドの詐欺師”誕生の意外な真相 阪神エースからの報復で肋骨にヒビ

「グラウンドの詐欺師」達川氏、“死球狙い”のはじまり
元広島捕手の達川光男氏と言えば、しつこいくらいの「当たった」「当たった」の“死球アピール”が有名だ。当たっていなくても、懸命に繰り広げる様子は珍プレー番組でもおなじみで「グラウンドの詐欺師」とまで言われたが、入団当初からやっていたわけではない。そうなるきっかけがあったという。それは、ある試合で2歳年下の長内孝内野手が、ベンチで古葉竹識監督に激怒されたことだった。
1977年ドラフト4位で東洋大から広島入りした達川氏はプロ5年目の1982年に77試合、176打数37安打の打率.210、3本塁打、13打点。スタメン試合数では、それまで大きな壁だった水沼四郎捕手と道原裕幸捕手の2人をついに上回った。8番捕手で出た6月18日の巨人戦(広島)では江川卓投手から2号ソロ。「初めて江川から打った。これでもうやめてもいいくらいの気持ちになりましたよ。その頃から体も大きくなったし、パワーもついてきたんじゃないかな」。
そして、その年の7月4日の中日戦(広島)で達川氏の死球アピールのきっかけとなる出来事があった。3-3の8回裏2死満塁で代打・長内。中日は2番手の牛島和彦投手が投げていた。「あの時、長内は満塁で牛島の(内角低めの)球が(右すねに)当たったんですよ。当たったからアンパイアがデッドボールと言うと思ったら、何も言わなかった。(中日)捕手の中尾(孝義)もさっと捕って、すっと投げた。(そのまま進行し)あげくに長内は三振したんです」。
その試合で達川氏は「8番・捕手」で起用され、途中交代。問題のシーンの時はベンチにいた。「(戻ってきた)長内に古葉さんが『何で(死球と)アピールしないんだ。当たったんだろう』と言ったら『当たりました』って。ますます古葉さんは頭にきて『満塁で当たったら何だ!』となってね。長内が『押し出しです』と答えたら、さらに怒っておられましたよ」。
この一件を見て、達川氏は「そこから、当たったか、わからない部分も全部一応アピールしたんですよ」という。審判の判定は絶対との考え方も少し切り替えた。「まぁ、プロだからアピールしても、それはそれでいいんじゃなかと思った。別に深い意味はなかったんですけどね。それがだんだんと……。私のアピールする姿は滑稽でもあったんでしょうね。で、なんか受けたというかね。珍プレーとかでね……」。

みのもんたから感謝…達川氏「みのさんのナレーションはうまかった」
珍プレー番組でのナレーションからブレークしたみのもんたさんからは感謝されたそうだ。「スタジオに呼ばれて(収録が)終わってから『達川君、君と(ヘディングエラーが話題になった中日)宇野(勝)君のおかげでね、世に出れたよ。ありがとう』って言われました。まぁ、でも、みのさんのナレーションはうまかったですよねぇ。あれがなかったら面白くなかったと思いますよ。他(のテレビ局)も真似しようとしたけど、誰もみのさんには勝てなかったですもんね」。
もっとも、そんな死球アピールで痛い目にあったこともあるという。プロ6年目の1983年9月24日の阪神戦(広島)でのことだ。阪神先発は小林繁投手だった。広島は0-1の2回1死一塁から6番・長嶋清幸外野手の2ランで逆転。7番のティム・アイルランド内野手が凡退して2死となって、8番・達川氏の打席となった。そこで厳しい内角攻めを受けた際に「当たった、当たった」とアピールしたら、小林投手に激怒されたのだ。
「小林さんが、マウンドから『達! そんなに当たりたかったから当ててやるよ』ってドーンと(左脇腹付近に)当たっちゃって……。あとで肋骨にヒビが入っていたのが分かったんだけど、もう痛くて、痛くて。だけど、これで休むわけにはいかない。しゃれにならないんでね。ハァ、ハァ言いながらやりましたよ。(その状態で翌日以降も)ずっと出ましたよ。それくらいなんでもないし、しょうがないですよ。自分が悪いんですから」
古葉監督の激怒シーンから、本格化していった達川氏の死球アピール。「グラウンドの詐欺師」なんて言われたこともあったが、珍プレーでおなじみになってからは、それをやるだけで、スタンドが大いに沸いたものだ。阪神・小林投手に“激怒報復”を食らった1983年は初めて開幕スタメンマスクをかぶるなど、正捕手として飛躍したシーズンでもあり、実力発揮とともに、その知名度もどんどん“全国区”になっていった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)