イチロー氏が明かした“孤独” 高年俸、減る観客…「僕はいないほうがいい」

マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏【写真:ロイター】
マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏【写真:ロイター】

グリーンスタジアム神戸の観客を「カウントできた」

 マリナーズで会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏が27日、インスタライブ「悩める大人の相談ライブ『イチ問一答』」に出演。俳優のディーン・フジオカさんと共演した。オリックス時代に「(自分が)いないほうがいいんじゃないか」と“孤独”を抱えていたことを明かした。

「イチ問一答」は、仕事・転職・独立、恋愛・結婚・離婚、人間関係など、皆さまから寄せられた「大人な悩み事」に対して、イチロー氏ならではの哲学で生回答するお悩み相談ライブ。海外留学に行くべきか悩む視聴者からの質問の時だった。自身もシアトルで生活していた経験のあるディーンさんから、2000年代の米国で暮らす難しさを聞かれると、イチロー氏は渡米前の話を言葉にした。

 オリックスでは入団3年目の1994年から7年連続で首位打者を獲得。1995年からパ・リーグ連覇を達成するなど大フィーバーが起きた。しかし、徐々に人気は下降。イチロー氏は、当時の本拠地であるグリーンスタジアム神戸の「お客さんをカウントできたんですよ。あ、はいはい今日は100何人だなと(笑)。今のプロ野球では考えられないですよ」と振り返る。

「僕、チームの中で給料高かったので。いない方がいいんじゃないかなと。だって、お客さん入らないから。これはお荷物である可能性もある」

 同時期には野茂英雄氏がメジャーの扉を開き、イチロー氏の視線は海の向こうに移り始めた。当時は野手の成功例は皆無。「じゃあやってやろう」と奮い立たせた。その上で「もし満員の球場で毎日プレーしてたらそうはならなかった。そこで、僕がアメリカに挑戦する覚悟があったかどうかは……全然自信がない」と言う。

 では実際に米国に移ってからは「なかなかでしたよ」と言葉を濁したイチロー氏。「ライブですから。具体的にはお話ちょっと……」と、壮絶な体験をしたことを滲ませた。ディーンさんも「お察しします」と頷いた。

 また、イチロー氏は「孤独でした」としたが、「想定できていたので。オリックス時代から孤独になろうとしていました」と意外なエピソードを明かした。チームメートともホテルなどで食事をせずにあえて距離を置き、「孤独に耐えるための訓練というか。結構役に立ちましたね」と笑いながら答えた。

(Full-Count編集部)

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