「絶対に見返したい」 引退後に現役復帰…女子野球・川端友紀が影響受けたプロの兄の背中

野球教室に参加した川端友紀さん【写真:主催者提供】
野球教室に参加した川端友紀さん【写真:主催者提供】

五輪出場を目標にソフトボール転身も正式競技からまさかの除外

 今季限りで現役を引退したヤクルト・川端慎吾内野手の妹、友紀(ゆき)さんは、女子野球の発展に長年貢献してきたレジェンドの1人だ。小学生の時に野球を始めるきっかけとなった2歳上の兄の引退は、万感胸に迫るものがある。

 11月30日、東京都府中市のグラウンドに友紀さんの姿があった。三菱UFJ銀行が開催した「MUFG ONE PARK by 侍ジャパン女子代表 in 府中」でコーチ役を務め、小学生の男女86人を指導した。

 来季ヤクルトの2軍打撃コーチに就任する兄・慎吾氏については、「現役引退は私の方が先で、私の分も頑張ってほしいと思っていました。兄も引退になりましたが、20年もプロの世界で頑張ってきて凄いなと、改めて尊敬していますし、指導者の道で頑張ってほしいと思います」と感慨深げに語った。

 友紀さんは小学生の時、父・末吉さんが監督を務め、慎吾氏も在籍する「貝塚リトル」で野球を始めた。兄と同じ右投左打。「お兄ちゃんみたいに野球がうまくなりたいと思って続けていましたが、一方で、兄や男の子たちが甲子園やプロ野球を目標にできることは、私にとってうらやましいことでした」と複雑な思いを抱えていた。

「中学生になる時、野球を続けたかったのですが、当時は女子が野球をやれるチームがなかなかありませんでした。そこが最初の挫折でした」。それでも「オリンピック出場」を新たな目標に掲げ、ソフトボールに転身した。

 ところが高校1年だった2005年7月、2008年の北京五輪を最後にソフトボールがオリンピックの正式競技から除外されることが決まってしまう。目標を失った友紀さんは高校卒業後、名門ソフトボール部がある企業に就職したものの、1年も経たずに退社したのだった。

野球教室で小学生に指導する川端友紀さん【写真:主催者提供】
野球教室で小学生に指導する川端友紀さん【写真:主催者提供】

現役引退も、わずか数か月後に復帰した理由とは…

「私の経験上、夢を失った人間が立ち直るには時間がかかります。立ち止まっていいから、悲観的になり過ぎず、自分と向き合っていけば、また新しい目標や夢が必ず見つかると思います」と友紀さん。「小さいチャンスは意外に近くにあるものだと思います。遠くを見ずに、まず近くにある小さなチャレンジを積み重ねていくことが大事だと思います」と付け加えた。

 友紀さん自身は、ソフトボールをやめた後、大阪府内のスポーツ用品店で1年あまりアルバイトをした。「野球用品やソフトボール用品を買いにいらっしゃるお客様に対応したり、P革(スパイクのつま先を保護・補強する革製のカバー)を取り付けたり、グラブのひもを取り替えたりといった、目の前のお仕事に集中することが救いになりました」と振り返る。

 2009年に日本女子プロ野球機構が発足し、翌年からリーグ戦開始。友紀さんは京都アストドリームスに入団し、強打の遊撃手として活躍した。その後、現在に至るまで「WBSC女子ワールドカップ」を7連覇中の侍ジャパン女子代表で、友紀さんも中心選手としてVに3度貢献した。

 2018年限りでいったん現役引退を表明したが、そこでは終わらなかった。わずか数か月後、エイジェックの女子硬式野球部に招かれ選手兼ヘッドコーチとして現役にも復帰。「(現役復帰の理由は)指導者としても体が動くうちは、自分でやって見せながら教えたいと思い始めたことが半分。もう半分は当時、『女子ってスライディングできるの?』と質問されたことがあって、これだけ女子野球を広めようと頑張ってきたのに、まだそんなことを言う人がいるのかとめちゃくちゃ悔しくて、絶対に見返したい、私のプレーを見てもらいたいと思ったことでした」と苦笑いをまじえながら説明する。

 2022年には女子野球クラブチーム「九州ハニーズ」の立ち上げに参加。昨年11月に現役を引退したが、友紀さんの野球人生は女子野球の発展にリンクしている。

 現在は九州ハニーズをサポートしながら、鹿児島・神村学園高女子硬式野球部の臨時コーチも務めている。「今後もっともっと、女子野球を盛り上げていけたらと思います」と力を込める。偉大な兄の背中を追いかけて足を踏み入れた野球人生で、挫折を乗り越え、唯一無二の歩みを続けている。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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