上原堆我を導く「山本由伸&山下舜平大の教え」 腰痛で離脱から学んだ“超一流の準備”

オリックス・山下舜平大(右)と復帰に向けた練習をする上原堆我【写真:北野正樹】
オリックス・山下舜平大(右)と復帰に向けた練習をする上原堆我【写真:北野正樹】

動画、ウエート、呼吸法などでも手本に

 オリックスの育成1年目、上原堆我投手が、チームの先輩であるドジャース・山本由伸投手と山下舜平大投手の教えを胸に、腰痛からの復活を目指している。

「由伸さんからは準備の大切さ、ペータさん(山下)からは腰痛を防止する体作りを学ばせていただいています」。約3か月ぶりにキャッチボールを再開した上原が、久々に笑顔を浮かべてチームの先輩に感謝した。

 上原は静岡県伊東市出身。花咲徳栄高(埼玉)から2024年育成ドラフト3位でオリックスに入団した。2024年夏の甲子園では1回戦の新潟産大付高戦で、1-2で敗れたものの152球で完投するタフネスぶりを発揮した。

 体作りが主眼の1年目は、4月8日の関西独立選抜戦(大阪シティ信金スタジアム)から中継ぎで登板し、1イニングを1安打、無失点で“デビュー戦”を飾った。以後、徐々にイニング数を伸ばし、6月下旬までの8試合で15回1/3を投げて被安打8、13奪三振、無失点。「真っ直ぐでファウルや空振りが取れるようになった」と自信を深めた7月下旬からは先発起用され、登板2試合で計7回2/3、被安打10、4失点とまずまずの結果は残した。

 しかし、3戦目を前に腰に痛みが現れて先発を回避。つかんだチャンスを逃したくない思いだったのだろう。まだできると無理を重ねたことで、腰がパンクしてしまった。医師の診断は重度の腰痛だった。

「もっと早めに治療していれば、1か月で治っていたのかもしれません。でも、自分の体と向き合う時間が作れたのはよかったと思います」と上原。8月中旬以降は走ることも投げることもできなかった。練習は、外野のポール間を歩いたりウエートトレーニングをしたりすることだけ。それでも「体幹を鍛えることなど、意外とやれることはありました」と振り返る。

 もう一つ取り組んだのが、YouTubeなどで山本の練習動画などを観ることだった。全体練習の2時間以上前から時間をかけてストレッチなど行う姿や私生活の過ごし方に「やっぱり、準備が大切なんだとわかりました。一日生活していくうえで、すべて(の行動)が野球につながっているんです。さすが、超一流選手だなと思いました」

 山本と同じように、全体練習の2時間前にウエート室を訪れると、今度は山下の存在に気付いた。「僕が行くと、いつもペータさんがいらっしゃるんです。ペータさんもすごく練習する方で、勉強になるから参考にさせてもらっていました」。成長に伴う腰痛に苦しんだ経験を持つ山下からは、腰に負担がかからない呼吸法などを教えてもらい、11月下旬からはキャッチボールの相手を務めるようになった。リハビリと並行して、山下が腰痛の再発防止に取り組んでいる練習に参加させてもらい、同じメニューで汗を流している。

 呼吸法を変えたことで、体に変化も現れた。「歩いている時も、下腹に空気を送り込むような意識というか、下腹が膨らむようなイメージで息を吐いています。意識をするだけで姿勢がよくなり、体が変わりました。メッチャ、体が硬くて開脚ができなかったんですが、1か月でできるようになりました。呼吸は大事だと思いました」と上原。

 ブルペンには、早ければ1月中旬以降には入れる見込み。「けがはよくないのですが、自分の体に向き合えるようになりました。高校を卒業したままの自分でずっとやってきたので、ちょっと変われたかなと思います」。山本から準備を学び、山下のトレーニングで腰痛の再発防止を図る。「成長して来年につなげたい」と力強く結んだ。

〇北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者一期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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