中日移籍が突如破談、新たな“放出先”に愕然 怒り頂点…フロントに告げられた「任意引退だな」

移籍先のダイエーでプレーする武田一浩氏【写真提供:産経新聞社】
移籍先のダイエーでプレーする武田一浩氏【写真提供:産経新聞社】

MLB中継解説者・武田一浩氏、ダイエー移籍の舞台裏を説明

 トレード先が半日で急転した。NHKのMLB中継解説者として活躍中の野球評論家・武田一浩氏は、1987年ドラフト1位指名を受けて日本ハムに入団。4年目の1991年には最優秀救援投手のタイトルを獲得した。1992年からは本格的に先発に転向し1993年には10勝。プロ8年目の1995年は首脳陣と衝突して出番が激減して初めて1軍0勝に終わり、トレードを志願した。

 自ら2軍調整を志願した1995年。1軍昇格の連絡を断り続けて2軍で最優秀防御率のタイトルを獲得した。1軍首脳陣との溝は深まり、球団にトレードを直訴。移籍先は「中日で決まっていたんです」と振り返る。

 同年の中日は5位と低迷。高木守道監督がシーズン途中で休養し、監督代行を務めた徳武定祐ヘッドコーチも解任された。オフに新監督に就任したのは武田氏の明大の先輩である星野仙一氏。シーズン中から監督就任の話は進んでおり、日本ハムで浮いた状況に陥っていた武田氏の獲得を模索していた。

「ドラゴンズはあと1人、先発投手が欲しい状況だったんです。『練習しとけよ』と大学の先輩(星野氏)から声をかけられて『シーズンが終わったらすぐに獲りに行くから』と言われていました。実際に水面下で凄く動いてくれていました」

 迎えた11月16日。「午前中の時点では中日で決まっていました。でも午後になって変わったんです」。移籍先はダイエー。武田氏と松田慎司投手、下柳剛投手と安田秀之外野手との2対2のトレードが成立したのだ。

「普通は同じパ・リーグには出せないですよ」

 急転した経緯などの説明は日本ハムから「一切なかった」と回顧する。怒った武田氏は「やめます」と伝えると、「任意引退だな」と告げられたという。「今だったらパワハラですよね。せっかくボール自体が良くなっていたので『ダイエーに行きます。行って見返します』と言いました」。ダイエーへのトレードを受け入れるしかなかった。

 ただ、セ・リーグの中日ではなく、同一リーグへの“放出”は納得がいかなかったのは事実だ。「本当に『なめてるな』と思いました。普通は同じパ・リーグには出せないですよ。パ・リーグに出したのを後悔させたいなと思いましたね」。翌年の8月28日の日本ハム戦で15勝目。古巣を首位陥落に追い込み「『ざまあみろ』と思いました。それだけ気合が入っていました」と回顧した。

 このトレードには後日談がある。武田氏はダイエー1年目の1996年にキャリアハイの15勝。一方、当初の移籍先に予定されていた第2次星野政権1年目だった中日は優勝争いを展開しながら、シーズン最終戦の10月6日の巨人戦に敗れて2位に終わった。

 長嶋巨人に逆転優勝を許した星野監督からは、明大OB会などで顔を合わせるたびに「冗談っぽく『お前が来んからや!』って怒られました」と振り返る。球史に残る「メークドラマ」は、武田氏の去就が大きな影響を与えていた可能性が高いのである。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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