オリ球団社長が明かす3連覇の“舞台裏” 元監督の活躍、名将の招聘…救われた「空白期間」

オリックス・湊通夫球団社長【写真:北野正樹】
オリックス・湊通夫球団社長【写真:北野正樹】

退任する湊通夫球団社長が明かした、3連覇の舞台裏

 12月末で退任するオリックスの湊通夫球団社長(球団オーナー代行)が、リーグ3連覇を達成した背景に2018年の福良淳一元監督のフロント入り、中嶋聡前監督の招へいと、2020年のコロナ禍での考える時間を挙げた。

「(2018年に監督を退任した)福良さんに残っていただき、中嶋さんを(2軍監督に)招へいできたことが、3連覇へのターニングポイントだと思います。開幕が6月に延びたコロナ禍は先が見えない不安でいっぱいでしたが、この期間にいろんな話をしてチーム作りの方向性が決まり、一致団結した期間でした」。湊社長が懐かしむような表情で当時を振り返った。

 湊社長は大阪市出身。2011年12月にオリックス本社から球団に出向し、企画事業部長、事業本部長などを経て2018年、社長に就任した。観客動員策に注力しファン拡大に奔走したほか、西名弘明元球団社長と2軍施設の神戸から舞洲への移転を推進し、チーム力強化の地盤を築いた。リーグ3連覇、日本一も達成し球団経営者として人気と実力のある球団に発展させた。

 3連覇が始まったのは、2018年10月の福良元監督のフロント入りからだと湊社長は明かす。「福良さんが監督を退任された時、フロントに残ってほしいとお願いしました。育成のフロントの責任者として育成総括GMになっていただいたのですが、次の(2軍)監督を誰にしますかという話になって、中嶋さんにしましょうと話が一致したんです」。中嶋氏は当時、日本ハムの1軍バッテリーコーチ兼作戦コーチ。「中嶋さんへのつてを私は持っていなくて、福良さんから頼んでいただき日本ハムさんの了解もいただきました。この2018年の動きがないと3連覇はなかったのです」と、舞台裏を明かす。

 次にポイントになったのは、2020年のシーズン前に襲ったコロナ禍だった。感染対策から開幕は順延され、無観客で開幕したのは6月。育成総括から編成全体の責任を取る立場に変わった福良GM、中嶋2軍監督と3人での話す機会が増え、チーム作りの骨格もできたという。「みんな腹を据えてやりましたね。ダメだったら、監督、GM、私(球団社長)と順番にクビになるのですから。そういう覚悟が固まった期間でした」。フロントと現場が一体となって、育成からのブレないチーム作りを明確に打ち出した瞬間でもあった。

 2020年8月に当時の西村徳文監督が成績不振の責任を取って辞任、代行を務めた中嶋2軍監督が翌年から昇格してから3連覇への道筋ができあがった。「ちょっとストーリーは変わってしまったのですが、福良さんが『うん』と言ってフロントに残ってくれなかったら、福良さんが中嶋さんを招へいしていなかったら(3連覇は)生まれていなかったんです。福良さんへの感謝はすごく持っています。福良、中嶋というコンビが、今のオリックスを築いてくれたのです」。1月からは顧問として球団に残り、馬殿(ばでん)太郎新社長にバトンを手渡す。「これまで築いてきたものを見たうえで、馬殿流のもの作り、形作りをすればいいと思います。新しいことに挑戦してほしいですね」と新社長にエールを送る。

「温かいファンのみなさんに支えてもらい、非常に楽しい思い出を共有させていただきました。本当にいいファンの多い球団だと思います」とファンに感謝の思いを伝えた湊社長。いちファンに戻ってスタンドでビール片手にオリックスを応援する日は、しばらく先になりそうだ。

〇北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者一期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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