指揮官に「てめぇ、この野郎!」 ファン丸見えの“大喧嘩”…3回目でプツン→ブチギレ

近鉄時代の栗橋茂氏【写真提供:産経新聞社】
近鉄時代の栗橋茂氏【写真提供:産経新聞社】

栗橋氏は二塁から生還できず…3回言われた「手抜きしやがってぇ!」

 試合中のベンチ前で指揮官と大喧嘩した。元近鉄4番打者の栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)にとって、現役時代の近鉄監督でもあった西本幸雄氏は恩師の一人だ。「この人についていこうと思った」と話すが、そのきっかけにもなったのは「クリ、やめとけ!」とコーチ陣に止められたほど、あるプレーを巡って、派手にやり合ったことだった。「西本さんに『てめぇ、この野郎』と言ってね……」と“事件”を振り返った。

「あれは(プロ)5年目か、6年目かだったと思う。日生球場でのロッテ戦でね、俺がツーベースを打って、ノーアウト二塁。次のバッターがセンター横にちょっと大きい当たりを打ったんだよね。(ロッテの)センターは弘田(澄男)さん。あの人はうまいし、捕れそうな感じだった。捕ったらタッチアップしなきゃいけないでしょ。で、結局、弘田さんが捕れなくて、打ったバッターはセカンドまで行ったけど、俺は三塁に止まったわけよ」。

 この栗橋氏の走塁に西本監督が怒ったという。「タッチアップかハーフウェーか、難しい判断だったから、俺はホームまで行けなくて三塁に止まったわけ。そしたら、次の打者の犠牲フライでホームにかえったときに、西本さんがすぐベンチから出てきて『(走塁を)手抜きしやがってぇ!』って俺に言うから『いや、してないです』って。するとまた『手抜きしやがってぇ!』とグラウンドで、だよ。『してないです』と返したら、また『手抜きしやがってぇ!』って」

 これに栗橋氏がブチ切れた。「3回目だったからね。『してねぇって言ってんだろ! てめぇ! この野郎!』って。“てめぇ”が入って、“この野郎”が入っての東京弁でね。(関口清治)バッティングコーチとか(内野手の)小川(亨)さんとか、みんなに『クリ、やめとけ、やめとけ』って止められて、止まったんだけどね」。スタンドからも丸みえの“大立ち回り”。「ベンチの上にいた人なんかには(内容も)聞こえただろうね」というほどだった。

「あの時、西本さんに“下手くそ”って言われていたら、俺はたぶん、何も言い返さなかったと思うんだよね。でも、“手抜きしやがってぇ!”ってのはねぇ……。手は抜いていないから、マジで一生懸命やっているのに、そんなふうに言われて頭に来た。西本さんもそれを3回も言ってきたからね」。しかし、試合後のベンチでは冷静になって「“ああ、やっちゃった”と思った」という。

近鉄で活躍した栗橋茂氏【写真:山口真司】
近鉄で活躍した栗橋茂氏【写真:山口真司】

“騒動”翌日に西本監督がお尻をポン…「ああ、この人についていこう」

「(選手は)みんな、どんどん先に帰っていったからね。真っ暗なところで、俺一人でベンチにいるみたいなもん。何かみんな冷たいなぁという感じでね。で、日生(球場)の監督室に行った。ドアが開いていたので『すみません』と言ったら、バッティングコーチの関口さんが『監督、クリが来ていますよ』って。奥から西本さんが手を挙げたように見えたけど、コーチ陣に『もういい、もういい、行け、行け』と言われて『すみませんでしたぁ!』と……」

 悶々と一夜を過ごし、翌日のことだ。「日生って通路が狭いんだけど、そこでまた、そういう時に会うんだよね。練習の時にちょっとトイレに行こうとしたら、向こうから西本さんが来た。狭い中、すれ違うわけだけど、その前に『おはようございます!』って、昨日のことには触れずに挨拶だけしたら、西本さんは何も言わなかった。『ああ、怒っているのかな』と思ったら、すれ違いざまに、俺のお尻をポンと叩いた。あれで救われた。ああ、この人についていこうって思ったんだよね」。

 当時を思い出しながら、栗橋氏は「あれが西本さんじゃなかったら、俺、2軍落ちだったかもしれない。指揮官といっても人間だからね。気にくわないヤツは気にくわないんだからね。いろいろあるだろうから」と話した。恩師の懐の大きさを感じ取り、何としても優勝して胴上げしたいと思ったのは言うまでもない。実際、プロ6年目の1979年にはキャリアハイの32本塁打を放って、近鉄球団初のリーグ優勝に貢献した。監督との大喧嘩もまた成績アップのきっかけになったのだ。

 西本監督が近鉄監督1年目の1974年シーズンは、駒大からドラフト1位入団の栗橋氏の1年目。「(近鉄)同期生だからね。俺は同期、同期と言っていた。いつだったか(高知)宿毛キャンプを打ち上げる時、『同期の桜』とか『男の誓い』みたいなのをカラオケで歌って、西本さんに向かって、指差して、“俺とお前は”って、やったような記憶もある。西本さんはそういうのは笑ってくれたよ」。それもまた強い絆があってのことだろう。すべてが恩師との忘れられない思い出となっている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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