戦力外で異国を転々…NPB復帰も1年で退団 元ドラ1の新たな挑戦、見つけたやりがい

くふうハヤテベンチャーズ静岡ジュニアを率いた中村勝監督
NPB12球団などが小学生のジュニアチームを結成して日本一の座を争う「NPBジュニアトーナメント KONAMI CUP 2025」(26日~29日)で、くふうハヤテベンチャーズ静岡ジュニアはグループリーグ1勝2敗に終わり、決勝トーナメントに進めなかった。それでも子どもたちの成長ぶりに、2年連続で指揮を執った中村勝監督の胸には万感の思いが込み上げている。指揮官自身、これまで波乱万丈の野球人生を歩んできた。
「初対面の時から、イケメンで優しそうだと思いましたし、実際に優しくて、いろいろ教えてくれました」。キャプテンの木村斗良偉(とらい)投手(6年)は、中村監督の印象を語る。
中村監督は2009年のドラフト会議で、当時ダルビッシュ有投手(現パドレス)が所属し活躍していた日本ハムから1位指名を受け、埼玉・春日部共栄高から入団。容姿や投球フォームが似ていることから「埼玉のダルビッシュ」、「ダルビッシュ2世」と呼ばれた。
プロ5年目の2014年には18試合に先発し8勝(2敗)を挙げる活躍を見せたが、その後は右肘のトミー・ジョン手術を受けるなどして低迷。2019年限りで戦力外通告を受け退団した。そこからの流転は激しかった。2020年にオーストラリアリーグへ活路を求め、翌2021年にはメキシコリーグで8勝0敗の成績を挙げ、最多勝のタイトルを獲得する活躍を演じる。
2022年にはテスト生としてオリックスの春季キャンプに参加し、育成選手として入団にこぎ着けてNPB復帰。7月には支配下登録を勝ち取ったが、1軍では3試合0勝1敗に終わり、1年間限りで退団となった。さらに2022年には独立リーグの「北海道フロンティアリーグ」の士別サムライブレイズに監督兼投手として招かれ、1年間活躍。昨年からはNPBウエスタン・リーグへの新規参加が決まったくふうハヤテの投手コーチを務め、ジュニアチームの監督も務めてきた。
教え子は60キロ台のスローボールと100キロ前後のストレートとの緩急で好投
「いろいろな場所で野球をやってきましたが、特に海外での経験は、指導するにあたって役に立っています。日本だけにいたら、この考え方にはなっていなかったところがあります。海外に行ってよかったです。大人のトップチームを指導していても感じることなのですが、日本の指導はどちらかというとマイナス面を正すのが主。一方、海外は良い所を言ってあげる指導だと思います。僕も外国のチームでポジティブな声をかけてもらって、“野球の指導はこうでなければいけない”という観念から自由になれました」
熱の込められた言葉の中には「大人になると急成長というのはなかなか起こらないのですが、子どもは1つ教えてあげると、ガラリと変わることがあります。そういう姿を見るのは楽しいです」と目を細める一幕もあった。
今大会は1日目に、オイシックス新潟アルビレックスBCジュニアに8-0で5回コールド勝ち。2日目は北海道日本ハムファイターズジュニアに0-4で敗れたが、決勝トーナメント進出の可能性を残して臨んだ28日の3日目は、優勝候補の広島東洋カープジュニアを6回制の4回終了時点で1-0とリードしていた。しかし5回にエラーをきっかけに大量4点を奪われ、結局2-4で惜敗したのだった。
先発した望月悠作投手(6年)は変化球禁止のルールの中で、62~63キロのスローボールを多投し、100キロ前後のストレートとの約40キロ差の緩急を使い3回1安打無失点の好投。背景には「僕も現役時代はカーブが得意で、緩い球を使えるところが長所でした」という中村監督の指導があった。
ただ、中村監督は今年限りでくふうハヤテの投手コーチを退任することが発表されており、ジュニアチーム監督も今年が最後となる可能性が高い。来年の出処進退については、まだ公表できる段階にないという。「この大会のように神宮球場や横浜スタジアムでプレーする経験は、なかなかできるものではありません。そういう意味で、出場選手はアドバンテージをもらえたと思います。そのアドバンテージを生かして、野球界を背負っていってもらえたらと思います」と野球少年にエールを送る中村監督。今後どんな立場になっても、これまで同様、自分なりのやりがいと価値観を見つけるに違いない。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)