捨てた世界的企業の年収2000万円 “茨の道”も悲壮感なし…慶応22歳の描く人生設計

Full-Countのインタビューに応じた常松広太郎【写真:加治屋友輝】
Full-Countのインタビューに応じた常松広太郎【写真:加治屋友輝】

慶大・常松広太郎、カブスとマイナー契約合意

 カブスとマイナー契約で合意した慶大・常松広太郎外野手が、1月中旬にも正式に契約書にサインする。最終学年だった2025年、東京六大学野球リーグ戦で春秋合わせて4本塁打を記録した22歳の長距離砲。ドラフト会議では指名がなかったものの、直後にMLB球団からオファーが届いた。

「仮に日本の球団から本指名ではなく育成選手として指名があったとしても、アメリカを選んでいました。同じ厳しい世界だったら、あまり経験できないところに行った方が、人生的に面白い。せっかく帰国子女だし、そういう経験ができるなら、やっていいかなと思いました」

 小学生時代に4年間、米国で生活した経験がある常松は、TOEICで満点の990点を記録するなど語学力に不安はない。生き残りが厳しい勝負の世界に進むのであれば、米国が選択肢となるのは自然の流れだった。

 ただ、早い時期からプロ野球選手やメジャーリーガーを目指していたわけではない。中高時代は慶応湘南藤沢で過ごし「高校は県ベスト16が最高の戦績でした」と振り返るように、必死に甲子園を目指したわけでもなかった。

 慶応湘南藤沢からNPB入りした選手は過去にいない。一方で「大学生の就職には強く、外資系の投資銀行には毎年のように10人ぐらい入っています」という。「僕からしたら、そういうルートの方が現実的に行けると思っていました。親戚も働いていて、親近感もありました」。

 慶大3年春にリーグ戦デビューを果たすも、夏から就職活動に専念して野球を一時的に“封印”。3年冬には米金融大手「ゴールドマン・サックス(GS)」を含む複数の企業の内定を勝ち取った。GSといえば平均年収2000万円とも言われる世界的超優良企業。誰もが羨むエリート街道は約束されたも同然だった。しかしそこで、心境に変化が生じたと回顧する。

「自分の実力がどれぐらいなのか、評価は客観的にどれぐらいされているのか知りたかった。最後に結果が出れば踏ん切りがつく。自分の中でやり切ったと思える。どうせならプロを目標に、思い切り野球をやろうと考えました。結果を出して、その先にプロを考えられたら面白いなと思って取り組みました」

一流企業の内定を断り米球界挑戦「レアな経験を」

 3年秋は出場ゼロに終わったが、そこから猛アピール。4年春のオープン戦では「ホームランを何試合か連続で打った」と振り返る。リーグ戦直前にスタメン復帰した春は、3本塁打を放つなど14試合に出場して打率.281、10打点。「もっと打てたと思っています」というほど、手応えをつかんでいた。

 秋は4番を任され12試合で打率.279、1本塁打、8打点。チームが5位に終わり「もっといい結果を出したかった」と悔しさをにじませつつ「思いっ切り野球に打ち込んだので、本当に楽しい1年間だったなと思います」と充実感も漂わせた。

 リーグ戦中の10月23日に行われたドラフト会議の様子は、野球部合宿所の食堂でチームメートと見守っていたという。「割と軽い感じで『ちょっと厳しいかな』って感じでいました。それより友達が指名されて『おめでとう!』って連絡したりしていましたね」。

 NPB球団から指名がなければ、内定しているゴールドマン・サックスに進む道がある。さらに知人を通して、カブスが獲得に興味を持っているという情報を得ていた。不確定な情報ながら、メジャーリーグが調査している可能性に心は躍り、ドラフト指名漏れにも悲壮感はなかったのである。

 ドラフト会議から1週間後の同30日、慶大野球部は4年生部員の進路を公式サイトで公表。常松のゴールドマン・サックス内定が公になり、世間がざわつく中、翌31日にカブスから正式なオファーが届いた。

「GSに入って頑張るのも1つですけど、GSからカブスには行けない。でも野球のキャリアが終わった後、GSへの入社にはまた挑戦できる。それが無理でも代理人業だったり、いろんな経験を生かして、自分の仕事に変えていけると思いました。『なるべく代えが利かない存在になる』という命題を考えた時、レアな経験をいろんなところで積んでおいた方が30代以降、いろいろ役に立つ。そう思って腹が決まりました」

 マイナーリーグの厳しい環境は覚悟の上。むしろ、その経験がいずれ役立つと前向きだ。リーグ戦から今も身長、体重とも増えている。185センチ、91キロと成長中の肉体には、未知の魅力と無限の可能性が詰まっている。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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