無名時代のイチロー“3年後”予言を耳に 名物部長がオリックス退職、韓国で第2のキャリアへ

サムスンの日本担当スカウトに就任した中村潤氏【写真:北野正樹】
サムスンの日本担当スカウトに就任した中村潤氏【写真:北野正樹】

球団職員になる夢…転がり込んだチャンス

 2025年までオリックスの管理本部総務部担当部長と球団本部国際渉外部アジア担当を兼務した中村潤氏が、新年から韓国プロ野球(KBO)サムスン・ライオンズの日本担当スカウトとして活動している。今季からアジア枠が新設されるKBO。アジア担当として日韓の野球事情に精通しているだけに活躍が期待される。

「子どもの頃から野球に惚れて、野球というスポーツのそばにいたいと思って生きてきた人間として、日韓の野球の架け橋になりたいという思いがあります」。新年を新たな環境で迎えた中村さんが抱負を語った。

 中村さんは東京都出身。神宮球場に近い新宿区四谷で育ち、小学生でヤクルトアトムズの子供会(ファンクラブ)に入ったのが、60歳までプロ野球に携わるきっかけとなった。

「小学生1人でナイターを観ることはできませんでしたが、試合前の打撃練習を観たり、クラブハウスの前でサインをもらったりしていました。『またお前か』と選手にいわれるほど通っていました。三原脩監督のサインは今も大事に持っています」。小学生から始めた野球は中学、高校、大学まで続けたというから、まさに原点だった。

 大学進学も、野球を中心に選んだ。外国語に興味があり、父から「入りたかった大学」と勧められた東京外大で選んだのは朝鮮語。「学科を選ぶ際、(1982年に)韓国でプロ野球が始まったばかりでしたから、将来、生かせるかなと思って選びました。入試では日本人の時間に対する正確性を表す一例として、プロ野球のキャンプの練習内容に関する英文問題が出題される幸運にも恵まれした」という。

 就職は、プロ野球球団を目指して活動したが、当時、球団に携わっていたのは元新聞記者や球団の親会社から出向した人がほとんど。仕方がなく大学OBの招きで証券会社に就職した。「バブル期で、一生懸命働けば(球場の)年間指定席は買えるだろう」という動機だったが、約10か月後に転機が訪れた。阪急から球団を買収したオリックスが、球団幹部や職員を公募した。

「もう、これだ、と思いましたね。3回くらい面接があって、1989年5月に井箟重慶代表、金光千尋事業本部長ら7人が入社しました。本拠地を移転した神戸では、地域のラジオ体操にユニホームを着て参加したり、三宮駅前で観戦を呼び掛けたりしました。金光さんは事業担当でしたが数字に強い方で、高卒の捕手が成功している確率を調べるなど、データを活用されていました」と約35年前を懐かしんだ。

 2015年に国際部長に就任するまでは、1軍に同行してスコアをつけて査定担当者を補佐したり、練習では外野の球拾いやキャッチボールの相手も務めたりした。2軍担当に変わってからは、ファームの独立採算を目指して改称した「サーパス神戸」の運営に携わった。

幻のヒーローインタビュー通訳

 2軍時代に印象深いのは、イチローさんとの出会いだ。「室内練習場で、一定の間隔で投じるマシンのボールを、きれいに一定の間隔で打ち返す打撃を見た2軍打撃コーチの大熊(忠義)さんが『3年後には(1軍で)首位打者を獲るぞ』とおっしゃった一言は忘れませんね」。人手の少ない2軍ではティー打撃のボールを上げたり打撃投手を務めたりしたが、首脳陣の意向でイチローさんに投げる機会はなかったそうだ。

 年末に退職するまで、「管理本部総務部担当部長兼球団本部国際渉外部アジア担当」として、韓国選手獲得に尽力した。最初に担当したのが2000年シドニー五輪で日本打線を抑え、銅メダル獲得に貢献した具臺晟(ク・デソン)投手。2011年に入団した李承燁(イ・スンヨプ)内野手、朴賛浩(パク・チャンホ)投手も思い出深い選手だ。

「韓国野球の投打のレジェンドが同時に入団するということで、韓国マスコミからの電話が鳴りやまず、嵐のようでした。どちらもいい人でしたが、朴はメジャー経験が長くどちらかと言えばビジネスライク。李は日本語も達者で奥ゆかしいというか、俺が俺がという人ではなくすごく対照的だったのが印象的でした」と振り返る。

 2012年にロッテ・ジャイアンツから海外FA権を行使して入団した李大浩(イ・デホ)内野手の獲得にも携わった。4番打者として2年連続24本塁打を放った李大浩には、忘れられない出来事がある。通訳業務は担当していなかったが、敵地の西武戦で通訳が発熱したため急きょチームに合流。初めてベンチ入りした試合で李大浩が延長戦で勝ち越しの本塁打を放った。ヒーローインタビューの準備を始めたところ追いつかれて引き分けに終わり、中村さんの通訳デビューは幻になったという。

 退職を前に、サムスンの知人から今季から採用されるアジア枠に向けスカウトとして日本で活動できる人材の紹介を依頼された。適任者は見つからず、「僕が力になってもいい」と決断するのに迷いはなかった。

「サムスンに日本からいい人材を送り込むのが仕事ですが、広い意味で日韓の野球の橋渡しができると思っています。NPB(日本野球機構)を戦力外になった選手やNPBから独立リーグに行く選手の選択肢が増えますし」。新たなアイデアもある。NPBの育成選手を一時期、KBOに派遣するレンタル制度の新設など。違う環境での武者修行は、日韓両リーグのレベルアップにも貢献することだろう。

「神宮球場でサインをもらっていた子どもが、いろんな選手や指導者に出会わせてもらって幸せでした。ずっと野球のそばにいたいと思って韓国語や英語を勉強してきました。動機は全部野球なんです。日韓の野球を知っているという強味を生かして、野球界に恩返しをしたいと思います」。野球を愛して半世紀。新たなミッションは始まったばかりだ。

〇北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者一期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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