甲子園V→指名漏れ…自暴自棄で大学中退 “2世選手”の重い看板、父の言葉が変えた運命

徳島ISへ入団した関本勇輔…父は元阪神・関本賢太郎氏
一度は諦めた夢。顔をあげるとタイムリミットが迫っていた。元阪神・関本賢太郎氏の長男としても注目された関本勇輔捕手が31日、独立・四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスの入団記者会見(ゆめタウン徳島)に出席した。多くの聴衆を前に爽やかな笑顔で「この1年でプロから指名されるように」と意気込んだ。
2019年夏の甲子園を制した大阪・履正社高出身。高校時代は、通算25本塁打を記録した力強いバッティングに、強肩の捕手としても高いパフォーマンスを発揮し、3年時には主将も務めた。複数球団から調査書が届くも、高卒プロ入りは叶わず、日大へ進学。すぐに大きな壁にぶつかった。
「自分の実力を高く見積もっていたんですよね。言い方が悪いですけど、楽観的というか、大学野球で『かましてやろう!』という気持ちでした。(チーム内で)自分がめちゃくちゃ下手くそだったので、いろんな葛藤が出てきて、耐えられなくなって、大学を辞めました」
ネガティブな思考に陥り、同級生や両親に大学を続けるよう説得されたが、「まだ19歳だったので周りの声を素直に聞き入れることもできなかった」と唇を噛む。2年生になる前の1月、大学を去ることが決まった。
プロになる志も失い、兵庫県内の自宅に帰ってきてからは、毎日をダラダラと過ごしていた。野球をすることは一切ない。その環境が勇輔の心をさらに追い込んだ。「自分の存在すらも否定しそうなぐらい(落ち込みました)。野球を捨てたら、人として何も残らんなって感じたんです」。どん底へと落ちていく中、あるYouTube動画が目に入った。
父の引退試合で交わした約束「お前もプロを目指せ」
その動画は、2015年10月5日に甲子園であった父の引退試合。小学生だった勇輔はその日、試合後の引退セレモニーで大きな花束を手渡すことになっていた。縦縞のユニホームを脱ぐ前日、“代打の神様”から「グラウンドから球場1周を見渡して、どれぐらいのお客さんがいるかちゃんと見てみ。覚えておけよ」と語りかけられた。
「(セレモニー当日にグラウンドから見渡すと)自分が想像していた倍以上のお客さんが見えました。ものすごくスタンドが黄色くて、対戦相手が広島で、赤色のユニホームの人もたくさんいました。引退試合の動画を見ていたら、あのとき父に『こんなにも応援してくれる人がいる。だからお前もプロを目指せ』って言われたことを思いだしたんです」
阪神一筋19年、プロとして戦い続けてきた父のように、立ち向かうと決めた。2023年夏から奈良県にある社会人野球チーム「SUNホールディングスwest」で野球人生をリスタートさせ、日々の仕事を通して「何も残らんな」と嘆いていた人間力も磨いた。
「もし怪我などでまた野球を離れることになったら、その後の道をこうやって歩くんだということを教えてもらえた」と感謝を口にした職場を離れ、今年から独立リーグへ挑戦する。「夢であるプロ野球選手になって活躍することを考えると、年齢などに対して焦る気持ちが漏れてきているのは否定できません」。今年24歳になる。決して簡単な道のりではないのはわかっている。
「どこかに滑り込みたいという気持ちでは、自分のようなレベルでは、夢を叶えられない」と現状を冷静に見定め、「ドラフト1位(指名されるような人材)になるつもりで、残されたチャンスを掴みたい」と前を向いた。11年前に満員の甲子園で交わした父との約束を果たすために、みなぎる力を燃えたぎらす。
(喜岡桜 / Sakura Kioka)