前回WBCから感じる変化「日本も?やっぱりそうか」 “伝説の左腕”が感慨…20年の歴史が生んだ「揺るぎない事実」

  • 佐藤直子 2026.03.06
  • 海外
ツインズ時代のヨハン・サンタナ氏【写真提供:産経新聞社】ツインズ時代のヨハン・サンタナ氏【写真提供:産経新聞社】

通算139勝、1988奪三振のヨハン・サンタナ投手コーチが回顧

 2026 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で悲願の初優勝を目指すベネズエラ代表は6日(日本時間7日)、米フロリダ州マイアミのローンデポパークで行われる初戦でオランダを迎え撃つ。ロナルド・アクーニャJr.外野手(ブレーブス)、ルイス・アラエス内野手(ジャイアンツ)らメジャーを代表する選手が並ぶ“オールスターチーム”と前評判が高い一方、強化試合では投手陣が捕まって2連敗。投手陣の層の厚さを懸念する声も少なくない。

 そんな投手陣にとって心強い存在となるのが、伝説の左腕、ヨハン・サンタナ投手コーチだ。サンタナ氏はツインズ、メッツなどで送った15年の現役生活で、サイ・ヤング賞に2度輝き、2006年には投手3冠(最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振)を記録。150キロを超える速球と緩急差の大きなチェンジアップ、手元で鋭く曲がるスライダーを武器にアウトの山を築き上げた。晩年は怪我に泣いたが、通算139勝、1988奪三振はお見事だ。

「はぁ〜もう20年か……」

 うつむき加減にため息をつきながらも、いたずらな笑みを浮かべるサンタナ氏。実は、WBCが産声を上げた2006年、ベネズエラの記念すべき初戦、宿敵・ドミニカ共和国戦で先発マウンドに上がった人物でもある。初回は無失点に抑えたものの、2回以降はデビット・オルティスに一発を浴びるなどして3回1/3を2失点(自責1)で黒星。2度目の先発となったキューバ戦でも1点を先制されたが、5回2安打1失点で打線の援護がなく2敗目を喫した。

「大事な試合でチームを勝利に導けなかったことは、今でも残念に思う。でも、こうやって今度はコーチとして国のために戦い、若い選手たちの成長を後押しすることができている。こんなに光栄なことはない。本当に幸せなことだ。とはいえ、あれから20年……早過ぎるなぁ(苦笑)」

 ベネズエラの選手たちにとっても、当初はWBCがどんな大会になるのか、分からないままでの参加だったという。サンタナ氏自身も手探りの中での挑戦となったが、その一歩があったから、今では「野球世界一決定戦」の名にふさわしい一大イベントに成長した。選手たちも「国のために戦いたい」と自主的に参戦表明をするまでになった。

20年で権威を得たWBC…選手は自主的に参加表明も

 第1回、第2回、第3回……これまで関わったすべての人たちが積み上げた功績が、大会に権威を与え、そして子どもたちに大きな影響を与えたと信じている。

「前回大会(2023年)くらいから『子どもの頃にWBCを見て応援していた。自分もあの舞台に立ちたいと思い、野球を始めた』という選手が増えてきたんだ。ベネズエラだけではない。日本も? やっぱりそうか。開催時期や開催方法など、色々と議論はあったけれど、結果としてWBCの開催が世界各地で子どもたちに影響を与え、野球選手を目指す子どもたちを生み出してきたことは揺るぎない事実だと思うんだ」

 今回のベネズエラ投手陣を見てみると、最年長で32歳。第1回開催当時は12歳だったことを考えると、それに続く若手たちはWBC開催に少なからず影響を受けている世代と言えそうだ。ペナントレース開幕直前という調整の難しい時期に、球数制限がありながらも出力を最大限まで上げる状況への対応は、やはり経験者にしか分からない。サンタナ氏は「役に立つのであれば、どんなことでも」とサポートの手を惜しまない。

 ベネズエラ投手陣には1つ、特徴がある。プールDの他チームに比べ、圧倒的に左腕の数が多いのだ。ベネズエラは17人中7人いるのに対し、ニカラグアが4人、ドミニカ共和国とイスラエルが3人、オランダはわずか2人。自身も左腕であるサンタナ氏の意向が汲まれたのかと思いきや、「オマー(・ロペス監督)が参加可能な投手の中から、最高のメンバーを選んでくれたんだ」と選定にはタッチせず。それでも「左が多くて不利なことはない。ましてや、左の方が教えやすいからね」と言い、ニヤリと笑う。

 第1回大会の初戦が行われたのが2006年3月7日(同8日)だった。あの日からちょうど20年。伝説の左腕からのアドバイスを胸に、ベネズエラが悲願達成へと動き出す。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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