バスで失った言葉「現実で起きていることなのか」 震災から15年…元楽天戦士が忘れぬ3.11

取材に応じた楽天のアンバサダー 銀次さん(左)と岡島豪郎さん【写真提供:パ・リーグ インサイト】
取材に応じた楽天のアンバサダー 銀次さん(左)と岡島豪郎さん【写真提供:パ・リーグ インサイト】

銀次さん、岡島さんが語る3.11の衝撃

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から15年が経った。「東北」を冠に掲げる楽天では、選手や球団スタッフにより、同年から復興に向けた支援や震災を風化させない取り組みを実施。義援金寄付、支援物資の供給、被災地訪問、そして、プレーで東北の人々に元気を与えてきた。

 球団一筋で東北のために戦い続けたのが、現役引退後、球団アンバサダーを務める銀次さんと岡島豪郎さんだ。そんな2人に、これまでの15年を振り返ってもらった。前編では忘れられぬ“3.11の衝撃”――。

◇◇◇

 大地震が東北を襲ったあの日、楽天の1軍は兵庫・明石市でロッテとのオープン戦を行っていた。当時、プロ6年目を迎えていた銀次さんはその試合に出場。7回終了後、球団スタッフから東北で大きな地震があったため、家族に連絡をするよう伝えられた。地震発生直後は多くの人が一斉に電話をかけたことにより、回線がパンクしてつながりにくい状況だったが、銀次さんは「親には運よく1回で電話がつながって『こっちは大丈夫だよ』と言われました」とすぐに安否確認ができたそうだ。

 しかし、そのときはまだ事の深刻さを認識していなかったという。球場から宿舎に戻る途中、バスの車内に流れた映像を見て言葉を失った。「仙台空港の上空から撮った映像で、黒い波がバーっと押し寄せてくるところを見ました。本当にこれが今、現実で起きていることなのかと。言葉が出なくて、バスのなかではチームの誰も何も喋りませんでしたね」。

 その後、関東を中心に全国を転々としながら、練習試合や練習を行っていた。仙台に戻ったのは約1か月後のことだった。開幕前、チームメートや球団関係者と宮城・牡鹿郡女川町の避難所を訪れた銀次さんは、瓦礫の山と化した街や被災者の悲痛な表情を目の当たりにし、「野球をやっている場合じゃない。この年の開幕は無理だろう」と思った。

葛藤の中…奮い立たせた闘将の言葉

 葛藤の日々を送るなか、チームを奮い立たせたのが当時の監督・星野仙一氏の言葉だった。「『俺らには野球しかないから、野球でみんなを笑顔にさせよう』ということを伝えられて、もうやるしかないなと。そこからみんなが一つになって戦いました。星野監督の言葉が一番響きましたね」と振り返る。

 星野氏の「野球でみんなを笑顔に」というメッセージには、被災者たちの願いが込められていた。避難所を訪ねた際に「東北のために優勝して」という言葉をかけられた闘将は、「この人たちのために勝たなければならない」と強く決意したのだった。

 そして、同年10月に開催されたドラフト会議にて、楽天から4位指名を受けた岡島さんも「よし、やってやるぞ」と気合を入れたと語る。

「入団後、新人選手で被災地に足を運びましたが、約1年経ってもまだまだ(復興が進んでいない)。そんな状況だとは全く想像していませんでした。星野監督の言葉のように、僕には野球しかなかったので、なんとか東北のためにという思いで挑んだ1年目でしたね。その思いは日を追うごとに強くなりました」

 そんな思いが身を結んだのは2013年。チームは初の日本一を達成し、東北に歓喜の瞬間が訪れた。

(「パ・リーグインサイト」高橋優奈)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

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