フロントから「トレードない」と断言も…察した中日移籍 同僚に告げた「いなくなるかも」

杉本正氏がプロ5年目に西武から中日にトレード移籍
社会人野球・大昭和製紙から西武入りした杉本正氏(野球評論家)は、プロ5年目の1985年、春季キャンプ直前の1月に、大石友好捕手とともに中日へ移籍した。田尾安志外野手と2対1での交換トレードだった。1984年12月の契約更改では球団から「トレードはない」と断言されながら、年が明けてから「覚悟しておいてくれ」に変わったという。
西武の2年連続リーグ優勝&日本一に貢献した杉本氏だが、7勝に終わったプロ4年目のオフ、トレード情報がいくつか耳に入ってきた。「巨人(外野手)の松本(匡史)さんとの(交換トレードの)噂もあったし、中日(外野手)の大島(康徳)さんとの噂もありました。その頃から西武は僕を出すことも考えていたのかなと思いますけどね」。
そこで12月の契約更改交渉の際、球団フロントにトレードについて聞いたそうだ。「その時は『トレードはないから、来シーズンも心機一転、頑張ってください』という話で契約をしたんです」と杉本氏は振り返った。しかし、1か月後には状況が一変。「年明け早々、自主トレが始まって間もない頃に、球団代表の坂井(保之)さんに呼ばれて『実はトレードの話がある。この1週間くらいで決まるかもしれないから覚悟しておいてくれ』と言われたんです」。
記憶をたどりながら杉本氏は「たぶん僕が『(行き先は)どこですか』って聞いたんでしょうね。誰が(トレードの)相手かは知りませんでしたけど、中日ってことは分かっていました」と話す。静岡県出身の杉本氏にとって、愛知・名古屋の中日は“遠い存在”ではなかったが、そこからは、ただ待つのみの日々が続いた。そんな中、1月23日に大石捕手らとゴルフに行ったという。
「小金井っていうゴルフクラブ。大石さんに『1年前はここで小林誠二(投手)とゴルフしたんだけど、(西武から)広島に戻るトレードが決まって、送別ゴルフになったんだよ』って言われたんで『大石さん、もしかしたら僕もいなくなるかもしれませんよ』と言ったんですよ。『なんでや』って聞かれたんで『もしかしたらトレードになるかもしれないんで』と言ってね。それで別れたんですよ」。そして、その日の夜に“動き”があった。

大石氏と2人で名古屋入り、会見を終えるとすぐに沖縄へ
「新聞記者から『明日(1月24日)、トレードの記事が出るから』って連絡があったんです」。中日の交換相手が田尾氏ということも聞いたが「大石さんも一緒(にトレード)とはその時点では知らなかったんですよ」と言う。「朝一番で、東尾(修)さんから電話があり『お前、寝ている場合じゃないぞ。新聞を見てみろ』と言われたので『知っています』と返したんですけどね(笑)。それで球場に行って新聞を見たら、大石さんもということで……」と驚いたそうだ。
「大石さんからは『(トレードが)俺もだったら(ゴルフの時に)言えよ』と言われましたけど『いや、知らなかったんですよ』と言って……。球団からは『グラウンドに出ずに中にいろ』と指示されて、1時間以上、2人でそこにいたのかなぁ。そしたら『トレードが決まったから』って……。たぶん、中日主導のトレードだったんじゃないかと思います。ただ、大石さんは寝耳に水でかわいそうでした。僕はそういう準備をする時間があったんでね」。こうして中日に移籍することになった。
西武での4年間で33勝34敗2セーブの成績を残した。杉本氏は「僕はロッテ戦に一度も投げなかったんです。契約更改の時に(球団フロントから)ロッテに投げていないから給料が上がらないみたいな言い方をされたことがあって『それは僕の問題じゃない。使う首脳陣の問題であって、使ってくれたらもっと勝っています』と言った記憶もありますけどね。まぁ逆に言うと他の4球団でこれだけ勝ったんですからね。阪急には言うほど勝っていませんけど……」と笑いながら西武での思い出を語った。
西武での経験を胸に中日に加入した。「名古屋には、僕の車で大石さんと一緒に行きました。後部座席に布団を積んでね。会見を終えると沖縄に行きました。中日のバッテリー陣が自主トレをやっているってことでね。14時とか15時とかに(沖縄に)着いたと思う。もう練習が終わっていたので『みんなはどこにいるんですか』と聞いたら『雀荘にいるよ』って教えてもらって、そこに行って挨拶した覚えがありますね」。西武・広岡達朗監督の“管理野球”とは全く違う雰囲気に戸惑いながらも、中日での生活がスタートした。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)