メジャー通算200勝右腕アダム・ウェインライト氏を単独取材
カージナルス一筋18年で200勝を重ねたアダム・ウェインライト氏が、Full-Countの単独インタビューに応じた。以前公開した記事では、ドジャースの佐々木朗希投手が先発として一皮むけるために必要なことを説いたが、今回は山本由伸投手と大谷翔平投手の印象や、現役時代に共にプレーした日本人選手について語ってくれた。
ウェインライト氏単独インタビュー① 200勝右腕が見た佐々木朗希
「球界で最高の投手の1人はヤマモトです。私は大ファンです。大ファンですよ」
山本について語りだすと、200勝右腕の声が弾んだ。
佐々木が先発した5月23日(日本時間24日)のブルワーズ戦前のこと。ウェインライト氏は米放送局「FOXスポーツ」の解説者としてミルウォーキーに来ていた。翌日に先発予定だった山本について聞くと、「彼が昨年のポストシーズンでやったことは伝説的でした」と熱弁が始まった。
「ワールドシリーズを締めくくるために休みなしで登板し、3イニング(実際は2回2/3)を投げました。あの厳しい状況を切り抜けて試合を終わらせたんです。打者からすれば外野に飛ばしさえすればいいという場面でダブルプレーに取って……。あのように競争心むき出しで戦う男を見るのは本当に楽しかったです」
2025年11月1日(同2日)、トロントで行われたブルージェイズとのワールドシリーズ第7戦。勝ったほうが優勝という大一番は、4-4の同点で9回裏に突入した。ブルージェイズが1死一、二塁とサヨナラのチャンス。ここで6番手としてマウンドに上がったのが、前日の第6戦で6回96球を投げ、勝ち投手になっていた山本だった。
まさかの“中0日”登板。先頭のカークに死球を当て、1死満塁と絶体絶命の危機に陥るが、味方の好守にも助けられ、延長戦に持ち込んだ。10回を3者凡退に抑えると、11回にスミスのソロ本塁打でドジャースが勝ち越し。山本は世界一まであと3つのアウトを託され、その裏も続投した。1死一、三塁のピンチで投じた渾身の34球目。最後はカークを遊併殺打に仕留め、高々と両手を突き上げた。
第2戦でも9回105球を投げて1失点で完投勝利。チーム4勝のうち、実に3勝を挙げた山本は文句なしでシリーズMVPに輝いた。ウェインライト氏は、当時もX(旧ツイッター)に「ヤマモトは、競技において私が今まで見た中で最大の度胸の持ち主だ。第6戦で96球……昨日のことだぞ! 2度の素晴らしい先発登板、そしてここでの3イニング……アメージングだ」と、感嘆のつぶやきを投稿していた。
あれから半年以上が経過するも、ウェインライト氏の中でその衝撃は色褪せていないようだ。「人生で見た中で最もクールな瞬間の1つでした。ポストシーズンの歴史において、1人の投手による史上最高のパフォーマンスの1つだと思います」と賛辞は止まらなかった。
大谷翔平には嫉妬「彼は私の夢を生きている」
昨季途中に投手として復帰した大谷についても意見を聞いた。「いま防御率0点台ですよね。かなり良い成績を残していると思います」と切り出したウェインライト氏だったが、続けた言葉は少し意外なものだった。
「彼は私の夢を生きているんです。私は打者兼投手になりたかったですから」
2005年にメジャーデビューしたウェインライト氏は、現役時代の大半をDH制が導入される前のナ・リーグで過ごした。2017年には投手として、42打数11安打で打率.262、2本塁打、11打点、OPS.731という好成績を残し、シルバースラッガー賞も受賞。打席に立つのは大好きだった。
「だから彼を見ていると、今のメジャーリーグの誰よりも彼に嫉妬してしまいます」
投手としてはもちろん、夢物語と思われていた投打二刀流を実現している大谷に、最大限の敬意を込めて微笑んだ。
カージナルスで同僚だった日本人「真のプロフェッショナルでした」
ウェインライト氏にとって、もう1人忘れがたい日本人がいる。2005~2007年の3年間、カージナルスで同僚だった田口壮氏だ。「彼はいつも面白い人でした。密かにとても面白い男なんです。箸の正しい使い方も教えてくれました。日本語もいくつか教わりましたよ」。
最多勝に2度輝いた右腕が、そう言って滑らかに口にしたのは「あなたは、いいせんしゅです」というフレーズだった。「You’re a good baseball playerという意味でしょ?」と二ヤリ。
「ソウは本当に真のプロフェッショナルでした。彼と彼の奥さんはとても素晴らしい人たちでした。素晴らしい選手であり、2006年のカージナルスのワールドシリーズチャンピオンです」
想起したのは、同年のナ・リーグ優勝決定シリーズ第2戦で、メッツの守護神ビリー・ワグナーから放った決勝ソロだ。
「ビリー・ワグナーからホームランを打ちましたが、あれがなければ私たちはワールドシリーズを勝てなかったでしょう」
守備固めとして起用された“伏兵”の一発は、いまも鮮明な記憶として残っているようだ。
(鉾久真大 / Masahiro Muku)