「うるさいぞ」レジェンドから“叱責” ドラ1指名直前…米国での忘れられぬ体験

元広島・西田真二氏【写真:山口真司】
元広島・西田真二氏【写真:山口真司】

西田真二氏は法大時代に日米野球で活躍した

 野手で実績を重ねた。元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は法大で1980年の2年春に外野のレギュラーポジションをつかみ、東京六大学リーグのベストナインに選出された。そこからは主力として活躍。リーグ優勝も明治神宮大会優勝も大学日本選手権優勝も経験した。日米大学野球にも2年時から3年連続出場。米国開催の際、メジャー通算563本塁打のレジー・ジャクソン外野手に怒られた思い出もあるという。

 西田氏は1979年の法大1年秋に投手から外野手に転向。1980年の2年春には早くもレギュラーとなってベストナイン。「(日米大学野球の)日本代表にも選ばれた。キャプテンの原(辰徳)さん(東海大→巨人)がアナハイムでホームランを打ったのはいまだに覚えていますよ。原さんのユニホームは僕が洗っていました。ドジャースタジアムでも試合しました。あの時に僕らは、もうあそこでプレーしていたんですよ」。1勝6敗と大きく負け越したが、貴重な経験だった。

 その後も2年秋に法大のリーグ優勝に貢献するなど、西田氏の躍進は続いた。1981年の3年秋はリーグ優勝&明治神宮大会優勝。3番が西田氏で、4番は同期の木戸克彦捕手、5番は1年下の小早川毅彦内野手とPL学園出身の強力クリーンアップだった。ドラフトイヤーの1982年、4年春はリーグ優勝&大学日本選手権優勝も成し遂げ、プロの評価も高めた。その間、日米大学野球には2年時だけでなく、日本開催の3年時も、米国開催の4年時にも出場を果たした。

「3年の時の日米野球は、今、阪神で2軍監督をされている平田(勝男)さん(明大→阪神)がキャプテン。その時の米国チーム(の主力打者)には、途中で帰ったけど、ジョン・エルウェイがいたんですよ」と西田氏は声を大にした。のちにNFLデンバー・ブロンコスのクォーターバックとして活躍し、殿堂入りも果たしているエルウェイは当時、野球との二刀流選手だった。

 日本が4勝3敗で制した大会だったが、西田氏は、何よりもその“遭遇”が「印象深い」という。「スーパーボウルMVPにもなったあのジョン・エルウェイと俺はやっていたんだなぁってね。(NFLでもMLBでも)両方ドラフト1位で、結果(NFLで)ああいう選手になったからね。嬉しいよね。確かに遠投はすごかった。ノックを見ていたけど、ライトからビューンって。さすがにいいボールを投げていましたよ」と笑みを浮かべながら話した。

1学年後輩の小早川毅彦は「遠くへ飛ばす能力が高かった」

 日米大学野球の思い出は1982年の4年時にもあるという。日本は2勝5敗だったが、法大の後輩・小早川が第6戦で本塁打を放つなど大活躍した大会だった。「小早川君はやっぱり遠くへ飛ばす能力が高かったね」と西田氏もたたえたが、さらに覚えているのはアナハイムでの出来事という。「我々の試合は大リーグの(エンゼルス-ロイヤルズの)前座試合だったんです。僕は大リーグが大好きだったから、もううれしくてね」。

 目の前に当時エンゼルスのレジー・ジャクソンや、ロイヤルズのジョージ・ブレット内野手らがいるのだから大興奮。「ジョージ・ブレットとは一緒に写真も撮ってもらいました」。その一方で、ポストシーズンに強いことで“ミスターオクトーバー”と呼ばれたレジー・ジャクソンには怒られてしまったという。「僕らがワーワー騒いでいたから“うるさいぞ!”みたいな感じでね」。憧れのスター選手に声を荒げられたわけだが、それも含めて忘れられないそうだ。

 もちろん、それもこれも野手として結果を出し、日米大学野球の日本代表メンバーにも選ばれ続けたからこそ。西田氏の東京六大学リーグでの通算成績は打率.301、11本塁打、41打点。「いいのか、悪いのか、わからないね」と笑ったが、野手に転向した法大で、さらにジャンプアップして、プロから注目される選手に成長したのは間違いない。1982年のドラフト会議では広島から1位指名された。それはまさに、大学で新たな道を自らの力で切り開いた結果だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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