PL学園で待っていた“地獄”「メンバーから外して下さい」 先輩からまさかの指令…監督に直訴のワケ

元中日・米村明氏【写真:山口真司】
元中日・米村明氏【写真:山口真司】

“熊本の逸材、大阪に行く”が地元紙で報道…進学予定の熊本工とPLの違い

 元中日左腕の米村明氏は熊本・八代市立第一中学から、大阪・PL学園に“野球留学”した。「3番・投手」だった中学時代は投打ともに注目された逸材で、PLでは1975年の1年夏からレギュラー外野手の座をつかんだ。同級生では一人だけの抜擢だったが、その裏には壮絶な日々があった。夏の大会前には「メンバーから外してください」と鶴岡泰監督に申し入れたという。それは厳しすぎる上下関係、理不尽すぎる出来事が重なってのことだった。

 米村氏は目を輝かせてPL学園に入学した。当初は父・高明さんが先走って「行きます」と返事した熊本工に行く手はずだったのを翻し、大阪行きを選択した。「ウチの親父は(熊本工監督の)八浪(知行)さんに『行く』って約束していたから、どうしようって悩んでいましたけどね。もう答えを伝えなきゃいけないという時に八代のめちゃくちゃいい料亭で(熊工サイドとの)食事会があって、親父と2人で行ったんですけど、親父は『明、一口も手をつけるな』と言って……」。その場で断ったという。

「八浪さんも薄々感づかれていたのかもしれませんが、『どうされましたか。食事されていませんけど』と言われたんです。親父が下を向きながら『熊本工の話はなかったことにしてください。私は行けって言ったんですが、息子が嫌だというので』と……。5分くらい沈黙があったかなぁ。八浪監督に『米村君、ウチとPL学園とどこが違うんだ』と聞かれたので、僕は『練習環境が違います。グラウンド、寮、室内練習場、全部違います。自分はそこで野球の勉強をするのが自分の成長につながると思いましたので、熊本工をお断りします』と言ったんです」。それは偽らざる本音だった。

「(八浪)監督からは『今すぐ、グラウンドや室内練習場も整備するから、もう一回考えてくれないか』と言っていただきました。実際にその整備をやられたんです」と米村氏は申し訳なさそうに話す。この一件は“熊本の逸材、大阪に行く”と地元紙の記事にもなったそうだ。言うなれば、そこまでして入った高校がPL学園だった。「当初はPL学園中に転校して高校に入学してほしいと言われたんですが、八代第一中が『それは駄目です、ウチを卒業してください』となったんですけどね」。

 PL学園には地方からの“留学組”が多かった。「熊本、鹿児島、和歌山、奈良とかね」。当然、レベルも高かったが、その中で米村氏は早くから頭角を現した。もともと志望していた野手として結果を出した。「1年の時、4月のオープン戦からユニホームをもらうまでに打率6割6分くらい打ったんです」。抜きん出た存在だったわけだが、その“裏側”は大変だった。当時は当たり前のようにあった厳しい上下関係に苦しんだという。

先輩の“しごき”…監督に言えなかったユニホーム拒否の理由

「寮での食事で、先輩がおかわりするとき、1年生3人が『失礼します』と取りにいかなきゃいけない。3人動けなかったら『おい、2年生、ちゃんと教えておけ』。そういう時代です。それが基本なんです。僕ら1年生は椅子に座っている場合じゃない。いつでも立ち上がれるようにして、ご飯を食べていたんです」。ほかにもいろんな“掟”があったようだが、入学早々に結果を出した米村氏はそれだけで済まなかった。

「練習前に(1つ上の先輩から)『フリー打撃で何センチかのところでうまく空振りしろ』って言われたんです。『そうすれば2年で頑張っているヤツがユニホームをもらえるから』ってね。『分かりました』と言うしかないので、そう言って、その通り、ギリギリで見事な空振りをしましたよ。そしたら、後ろから監督が『何、やっているんだ! お前は! しっかり打て!』って言うんです。そこでもまた『はい』って言うしかない。で、カーンと打って『おう、そういうバッティングをするんだ』とか言われて……」

 そして、その後に待っていたのが先輩たちからの……。「練習は8時頃に終わるんですけどね。『お前、言ったことがわからんのか!』とか言われて……。最後はグラウンドを10周して寮に帰るんですけどね……」。先輩の言う通りにしたら、監督に怒られ、監督の言う通りにしたら、先輩ににらまれる。まさにどうすることもできない生き地獄だった。「それが5月の中頃から1か月半続きました。で、ユニホームをもらった後、そのユニホームを持って監督室に行ったんです」。

 そこで「『監督、ユニホームはいりませんので、メンバーから外して下さい』って言いました」と言う。「監督に『なんでや』って聞かれたけど、理由なんて言えるわけがないじゃないですか。『それは言えません』と黙秘権を3日間使いました」。それは希望に満ちあふれて入学してから、まだ数か月しか経っていない頃の出来事。そして、1年夏の大会を前にして米村氏は、さらなるアクションを起こすことになる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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