中日・高橋宏斗の指名に安堵 当初は楽天入り左腕が本命…スカウトの直談判「断トツだから」
元中日左腕の米村明氏は、65歳になった2024年限りで退団した。河合楽器から1984年ドラフト5位で入団。パームボールを武器に先発でも中継ぎでも活躍し、通算130試合に登板…
中日・高橋宏斗の指名に安堵 当初は楽天入り左腕が本命…スカウトの直談判「断トツだから」
元中日左腕の米村明氏は、65歳になった2024年限りで退団した。河合楽器から1984年ドラフト5位で入団。パームボールを武器に先発でも中継ぎでも活躍し、通算130試合に登板…
阪神も狙っていた中日左腕「2位なら残ってない」 指名を直談判…スカウトが信じた“1年後”
元中日左腕でチーフスカウトも務めた米村明氏にとって、とりわけ思い入れ深い選手が、2026年も先発陣の柱として活躍中の左腕・大野雄大投手だ。2010年ドラフト会議で単独入札の…
落合監督の“肝いり選手”より「使えると思います」 腹括ったスカウトの進言…生まれた名球会打者
NPB2000安打を放った名選手も発掘した。元中日左腕の米村明氏は、2001年オフから大阪駐在スカウトとして手腕を発揮した。2009年ドラフト会議では5位指名した日本生命・…
逸材が突然「中日には行きたくない」 実った説得…エース誕生の裏にあった“駆け引き”
元中日左腕の米村明氏は1991年に現役を引退し、1992年からの高木守道監督体制下でサブマネジャー兼打撃投手を務めた。その後、打撃投手チーフとなり、第2次星野仙一監督体制と…
中日首脳とギクシャク…8月に決めた引退 新監督から打診も固辞、ぽっきり折れた心
中日で第1次星野仙一監督体制が幕を閉じた1991年、左腕・米村明氏も現役を引退した。プロ7年目での決断だった。左肘の状態が思わしくなかったこともあるが、ラストイヤーは2軍で…
ベンチの扇風機を「バーン」 中日指揮官から“脅迫”…逆らえなかった命令、巨人主砲から怒りの目
左肘痛と闘いながら、懸命に投げたが……。元中日投手の米村明氏はプロ5年目の1989年、25登板(5先発)で2勝2敗、防御率6.57の成績に終わった。シーズン初登板の4月20…
「日本で誰もやっていない」“レア記録”達成も 中日左腕が払った代償「もう限界」
元中日左腕の米村明氏は1988年8月3日の大洋戦(ナゴヤ球場)で、プロ野球史上初の毎回被安打での完封勝利を達成した。許した安打は10。2回に2安打されたが、あとの回は1安打…
過酷な登板続いた「使い捨て」の日々 長嶋一茂に被弾で大目玉「誰に打たれているんだ!」
過酷なフル回転だった。元中日左腕の米村明氏はプロ4年目(1988年)に7勝を挙げてリーグ優勝に貢献した。先発でもリリーフでも投げた。武器のパームボール多投が要因で左肘痛に苦…
マッサージ中に伝説の乱闘 巨人助っ人が投手を殴打…急いで参戦「行かないと罰金」
元中日左腕の米村明氏はプロ3年目(1987年)に初完封を含む4勝をマークした。この年から監督は“若き闘将”星野仙一氏に代わり、必死に1軍に食らいつき出した結果だった。「星野…
即戦力のはずが防御率12点台 1年目で知った現実…中日OBから「ケチョンケチョンに」
元中日投手の米村明氏は、パームボールを武器に先発でもリリーフでも活躍した。背番号19の左腕が、その球を完全習得したのはプロ2年目(1986年)だ。1年目秋から練習を始め、コ…
中日入団直後に痛感「素質がない」 同学年の“先輩”に衝撃…愕然のブルペン「帰ろうと思った」
1984年の中日ドラフト5位左腕の米村明氏はプロ1年目から実力不足を痛感したという。社会人野球・河合楽器から25歳で入団したが、宮崎・串間キャンプでは、ブルペンで剛腕2投手…
中日から指名も「名古屋にあるんですか?」 諦めていたプロ入り…地元記者へ“失言”で赤っ恥
1984年のドラフト会議で社会人野球・河合楽器の左腕、米村明氏は中日から5位指名されてプロ入りした。当時、大卒3年目の25歳。その年のロサンゼルス五輪で金メダルに輝いた野球…
社会人名門のはずが…体操着で練習 信頼失った退部騒動、25歳で痛感「真面目にやらなアカン」
厳しい立場からやり直した。元中日左腕の米村明氏は1984年のロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した野球日本代表メンバーでもある。社会人野球・河合楽器3年目に日本代表・松永怜一…
約束の“反故”に愕然…叩きつけた退部届&退職願 プロ入りが遠のいた不可解な先発回避
大騒動になった。元中日左腕の米村明氏は1982年、中央大から社会人野球・河合楽器に進んだが、2年目に退部届と退職願を出した。社会人で2年間プレーしてプロ入りすることを目標に…
勝手に“借金肩代わり”…決まっていた社会人行き「バカ野郎!」 捨てた1800万円「もういいです」
進路に“米代”が影響した……。元中日左腕の米村明氏はPL学園から中央大に進み、1982年からは社会人野球・河合楽器の一員となった。大学時代は2年(1979年)春の東都リーグ…
リーグ戦Vも離脱…監督から「何やったんだ!」 “12時間”の酒宴が招いた異変「弱っていた」
大学でも山あり、谷ありだった。元中日左腕の米村明氏は1978年に中央大に進学し、1年生から投手として頭角を現した。1979年の2年春には2年先輩の香坂英典投手(元巨人)とと…
「殴られない」で選んだ進路 プロ&監督の母校を“拒否”…PLエースの複雑な心境
選択の決め手はグラウンド外の……。元中日左腕の米村明氏は1978年、PL学園から中央大学に進学した。高校2年夏に2番手投手兼外野手として甲子園を経験し、3年時は聖地にたどり…
「やめます。投げません」PL学園で起こっていた衝突 全力投球怠り終戦…エースの後悔「もう時効」
あの時は本当に……。元中日投手の米村明氏は49年前のPL学園時代を振り返りながら「僕はとんでもない高校野球選手でした」と反省の言葉を口にした。1977年、高校3年夏の大阪大…
PL学園監督から鉄拳制裁「前に出て来い」 “ブチギレ”たエース「ピッチャーやめます」
高校ラストイヤーは、まさかの……。元中日左腕の米村明氏は1977年、PL学園3年時に甲子園へ行けなかった。1976年の2年秋は大阪大会準決勝で大鉄(現・阪南大高)に負けて選…
3年生の直訴に「明日負けるぞ」 最後の夏で監督が“予言”…初の甲子園でもなかった感動
1976年夏の第58回全国高等学校野球選手権大会で、PL学園(大阪)は決勝に進出した。桜美林(西東京)に延長11回3-4のサヨナラ負けを喫して涙をのんだものの、準優勝の結果…
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