阪神も狙っていた中日左腕「2位なら残ってない」 指名を直談判…スカウトが信じた“1年後”

2010年、中日の入団会見に臨んだ大野雄大(前列左)【写真提供:産経新聞社】
2010年、中日の入団会見に臨んだ大野雄大(前列左)【写真提供:産経新聞社】

2010年の中日ドラフト1位・大野雄大の獲得に尽力した米村明氏

 元中日左腕でチーフスカウトも務めた米村明氏にとって、とりわけ思い入れ深い選手が、2026年も先発陣の柱として活躍中の左腕・大野雄大投手だ。2010年ドラフト会議で単独入札の1位指名。佛教大から入団した左腕は当初、阪神と相思相愛ムードが漂いかけており、そこからの“逆転獲得”でもあった。担当スカウトとしてプロ入り後も、時には厳しい言葉を投げかけていたという。

 佛教大・大野は米村氏が早くから追いかけていた投手だった。「真っすぐだけで1安打、101球で完封したことがあったんですよ。こいつは間違いないなって思っていました」。だが、獲得するにはクリアしなければいけないライバル球団の存在があった。京都市出身の大野が大ファンだった阪神だ。この年は早大・大石達也投手、斎藤佑樹投手、中大・澤村拓一投手ら多くの逸材がいた中で、阪神の大野への動きは常に警戒していたそうだ。

「いつだったか、練習を見に行ったら(佛教大の)監督に『米村さん、大野の携帯電話の番号、知っていますか?』と聞かれたんです。『いや、そんなの知るわけがないですよ』と言ったら『どうも大野の携帯を知っている人がいて、“もう投げんでもいい”みたいなことを言っているようなんです』と言われたんです」。

 米村氏は、すぐに阪神の動きではないかと疑った。大野はその年の夏に左肩を痛めたが、病院から何から何まで状況を徹底的に調べ尽くし、逆転獲得を目指した。

「『実際に痛めていて炎症はあるけど、ちゃんと治療すれば投げられない状態ではないです』と、(中日)落合(博満)監督にも全部、話しました。その頃の中日は投手陣も豊富だったので『じゃあ、獲ったら1年後に投げさせればいいんだろう。本当にいいピッチャーなんだな』と言われて『はい。お願いします』。それで即決でした。ただ、『2位なら残っていません。阪神が外れ(1位)でいきますから。いきなり(入札1位で)いってください』とお願いしました」

 その頃には阪神の情報もつかんでいたという。「(阪神スカウトの)池之上(格)さんが、大野に『(入札1位による抽選で)外れたらいくから』って約束していたのはわかっていたんです」。その年のドラフトで、阪神は6球団が競合した大石を1位指名。抽選で西武に敗れた。一方、大野は中日がきっちり単独入札で確保した。「あれは自分の情報力が勝ったかなと。池之上さんには強い口調で『ヨネちゃん!』と言われたので『すみません』って……」。

元中日・米村明氏【写真:山口真司】
元中日・米村明氏【写真:山口真司】

成長促した叱咤激励…2年目の春季キャンプで「もう野球やめろ!」

 もちろんそこに至るには、阪神スカウトに負けないくらいの信頼関係を大野と築いたのは言うまでもない。「大野は背番号も22を選びました。藤川(球児投手、現阪神監督)の背番号だからですよ。あいつは本当に阪神ファンなんですよ」。

 まさに米村氏だからこそ、中日が獲得できたと言っても過言ではないだろう。そして落合監督も予告通り、大野をドラフトから約1年後の2011年10月14日の巨人戦(東京ドーム)にて初登板で先発させるなど大事に育て、球界を代表する左腕に成長させた。

 そんな大野を米村氏はプロ入り後も叱咤激励してきたという。「2年目のキャンプだったかな。ブルペンで大野の腕が振れていなかったから『お前はもう野球やめろ! 契約金で1億入っただろ。宝クジに当たったと思ってやめろ!』って言ったら、アイツが怒った顔をしたんですよ。それで『その顔をして目一杯投げてみい! 技術もないくせに何、テクニックを使おうとしているんや』と言ったこともありましたね」と振り返るなど、とにかく熱い。

「テレビで見ていたら、大野が7回くらいになると“早く(抑え投手の)岩瀬(仁紀)さんを出して下さい”みたいな顔をしていたので、あとで電話して『お前! 何チラチラチラチラ見ているんや! エースになるんやったら完投勝利するのが当たり前だろ、こら!』って罵声を浴びせた覚えもあります」

 2020年に沢村賞にも輝いた大野は、38歳シーズンの今季も先発の軸として頑張っている。米村氏は「『真っすぐで抑えられなかったら野球やめろ』って僕に言われると多分、思っているはずですよ」と微笑みながら、さらなる活躍を楽しみにしている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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