中日・高橋宏斗の指名に安堵 当初は楽天入り左腕が本命…スカウトの直談判「断トツだから」

2020年、中日の入団会見に臨んだ高橋宏斗(最前列左)【写真提供:産経新聞社】
2020年、中日の入団会見に臨んだ高橋宏斗(最前列左)【写真提供:産経新聞社】

1984年ドラ5で入団し、2024年に退団…米村明氏が振り返る中日一筋のプロ人生

 元中日左腕の米村明氏は、65歳になった2024年限りで退団した。河合楽器から1984年ドラフト5位で入団。パームボールを武器に先発でも中継ぎでも活躍し、通算130試合に登板した。1991年限りで現役引退した後は打撃投手や裏方チーフを経て、2002年オフからスカウトを務めるなど中日一筋のプロ野球人生だった。現在は大阪府松原市内の病院で警備の仕事に就く。「自分で探して面接で受かりました。家族のために、まだまだ頑張らないといけないと思っています」と力強く話した。

 2026年、米村氏は野球界から離れたところで懸命に働いている。「病院で警備の仕事。巡回したり患者さんの対応をしたり、普通にやっています。自分で探して、面接を受けにいって合格をもらってやっているんです。これまで野球しかやっていなかったので、こういう世界もあるんだなとか。あ、こういうところは一緒だなとか思いながらね。野球とは関係ないけど今、楽しいですよ」と充実の表情も浮かべた。

「(勤務時間は)18時半から次の日の9時までとか、いくつかのパターンがあります。(元中日である)僕のことを知っている人もいるので、手も抜けませんよ(笑)。知られていればこそ、いい加減な仕事はできないんです。だから自分の人生の勉強にもなっています」。とはいえ、古巣の中日にはスカウト時代に関わった選手が多数いる。気にならないといえば、嘘になる。

 米村氏は2018年からアマチーフスカウトとなり、退団するまで全力を尽くした。最初の年のドラフト1位は大阪桐蔭の根尾昂内野手だ。現在は投手だが「僕はショートで獲りました。だって本人もショートをやりたいって言っていましたから。当時は京田(陽太内野手、2016年中日ドラフト2位、現DeNA)がショートにいましたけど、ちょっとトロトロしていたから気持ちに火をつけなきゃいけないということもありましたしね」。

 プロ8年目の根尾は4月8日のDeNA戦(横浜)でプロ初勝利をマークした。4-4の延長11回に6番手で登板し、1イニングを無失点。12回に勝ち越したことで、投手転向5年目にして初白星を手にした。米村氏は「ピッチャーになったことに関して僕は関係ないですけどね」と言いながらも、初勝利の時には「久しぶりやなぁ、我慢した分、吐き出せよ」とメールを送ったそうだ。

 その後の根尾は苦しい日々が続いているが、「速いボールだけじゃアカンから、もう1個、自分が生きるボールを覚えてほしいです」とエールを送る。米村氏はプロでパームボールを覚えたのが大きかったが、「パームは覚えられるでしょうけど、怪我につながりますからね。それならチェンジアップがいいと思う。高校時代も投げていたと思うから、それをもう1回磨くとかね」とも付け加えた。

元中日・米村明氏【写真:山口真司】
元中日・米村明氏【写真:山口真司】

2020年ドラフトのドタバタ…高橋宏斗獲得進言も当時の監督が”難色”

 2020年ドラフト1位の高橋宏斗投手(中京大中京)は指名する際、大変だったという。「当時の与田(剛)監督は早大の早川(隆久投手、現楽天)を推していましたからね。早川は木更津総合出身で与田監督の後輩でもありましたから」。当初は高橋が大学進学を打ち出していたため早川1位の方針だったが、状況が変化。地元の逸材・高橋指名が可能になった。しかし、スンナリとはいかなかった。「僕は『高橋が断トツだから獲ってください』と言ったんですが、監督が……。なかなか決まらなかったんです」。

 高橋を逃がしたくなかった米村氏は「最後は『球団に委ねましょう』と言いました。それで『地元の(愛知)出身だから高橋で』ってなったんです。でも、あれは担当の清水(昭信)スカウトと近藤(真市)スカウトの“ファインプレー”ですよ。2人が『高橋はプロ入りとなる可能性があります。諦めたら駄目ですよ』と言ってくれていたので、僕も踏みとどまっていたし、そうなった時に対応できたんです」。

 米村氏は高橋について「プロに入って3年、4年は高校の厳しい練習によるスタミナが残っていますけど、それも切れる頃だから後半につかまったりしていたと思う。もう一回体幹を鍛えなきゃね。それをやらないとメジャーには行けないですよ」と指摘する。もちろん、期待の裏返し。当時の指揮官と“対決”して獲った右腕の活躍、成長を願うからこそだ。

 下位に低迷する中日に関しても、こう続けた。「(元監督の)落合(博満)さんが『弱ければ練習するしかないんだ』とよく言われていますけど、当然やなと思います。それを井上(一樹)監督はできていますかってことですよね。あまりにも選手を大人扱いして本人任せの練習をやりすぎです。彼はもともと優しい人ですからね。でもチームを復活させるために監督になったんだから頑張ってほしいですよ。強い時期のドラゴンズを知っている人ですから、それを選手に伝えてくださいねっていう思いはあります」。

 PL学園、中大、河合楽器、中日でプレーし、スカウトになってからも米村氏は様々な問題に直面しながら、いつもギリギリのところで乗り越え、それらを肥やしにして野球人生を全うした。つらく厳しいことも経験したが、多くの出会いがあったからこそ今がある。野球とは異なる世界で働きながら、根底にはやはり野球で鍛えられたものがあるのだろう。

「義母が認知症で、息子も闘病中なんです。まだまだ頑張らないとアカンのです。女房にもよく言うんですよ。『真面目にやること。それしかないでしょ』ってね。面接に行って雇ってくれたのはありがたい話。今の仕事を一生懸命やらないといけないと思っています」。8月6日で67歳になった。粘りの投球に定評があった米村氏は新たな人生にも粘り強く、前向きに取り組んでいる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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