24年ぶりの聖地で躍動…立ち返った亡き名将の教え 古豪再生のきっかけは“腐ったボール”

3回戦で優勝候補・仙台育英に食い下がるも敗退
第108回全国高校野球選手権大会・第11日は15日、甲子園球場で3回戦4試合が行われ、第4試合では24年ぶり出場の拓大紅陵(千葉)が3-6で仙台育英(宮城)に敗れた。それでも約四半世紀ぶりに激戦区・千葉の頂点に立ち、今大会でも初戦を突破した戦いぶりは、“古豪復活”を強烈に印象付けた。
優勝候補の仙台育英にも食い下がった。1-5とリードされて迎えた6回の攻撃。1死二、三塁のチャンスをつくって相手先発・福井勇翔投手(2年)をマウンドから引きずりおろすと、ここで登板した背番号「1」の梶井湊斗投手(3年)から、主将の加治征樹内野手(3年)が中前へ適時打を放ち1点を返す。阪本幹太内野手(3年)も左前適時打で続き、この時点で2点差に迫ったが、牙城を崩すことはできなかった。
拓大紅陵は、現在の坂巻展行監督が主将を務めていた1984年に初めて甲子園の土を踏み、春夏連続出場。1986年にも、後にヤクルトで名外野手として活躍する飯田哲也氏を擁して、春夏連続甲子園出場を果たした。1992年の夏の甲子園では準優勝したが、夏は2002年、春を含めても2004年を最後に“聖地”から遠ざかっていた。
24歳の若いOBで寮監も務める篠田渉太コーチは「昨秋の千葉大会3回戦で千葉学芸の前に早々と敗退。その悔しさが選手たちを奮起させたのだと思います」と証言する。「最初に選手たちが考えたのは、元監督の小枝守さんの教えに立ち返ることでした」。
小枝氏は2014年の夏まで33年間も拓大紅陵を率い、強豪に育て上げた。退任後には、侍ジャパンU-18代表の監督も務めた名将だ。2019年に67歳で死去した。篠田コーチは「私自身は小枝さんに直接教わっていない世代ですが、著書を読んだり、先輩から伝え聞いた限りでは、野球のプレー以外の部分を大事にされた方と認識しています」と語る。

全体練習の時間は限られるも「寮に戻ったら素振り、自宅に帰っても素振り」
昨秋の千葉大会で敗退した選手たちは一念発起し、普段の生活や練習環境の整備など、まさにプレー以外の部分を見直すことから始めたという。その中でも篠田コーチは「練習グラウンドの周囲にU字溝があり、砂が溜まっていたのですが、私と一部の選手たちで掃除をしたことが思い出されます」と目を細める。
砂が溜まったU字溝を掃除すると、ボール10数個が、革が腐った形で発見された。主体的に掃除に関わった安田来音外野手(3年)は「自分たちに何が足りないのかをみんなで話し合い、まずは環境整備ということになって掃除を始めたのですが、腐ったボールを見た時に、道具を大切にしない人間に野球をやる価値はないと反省しました」とうなずく。
練習量も増えた。拓大紅陵の学校施設を使えるのは平日が午後7時半、土・日も午後6時までと決められていて、全体練習の時間は限られている。主将の加治は「練習時間は本当に短いですが、寮に戻ったら素振り、自宅に帰っても素振り。自主練習できる時間を全て野球に費やしてきました。その念が今の結果に結びついていると思います」と真剣な面持ちで語った。
部員80人中49人を占める寮生を中心に、午前6時からの早朝練習も行われるようになった。午前8時半から9時までは、全選手で前出のU字溝掃除やグラウンド整備など環境づくりの時間にあてられた。
こうして生まれ変わった拓大紅陵は、今夏の千葉大会決勝で今春選抜大会ベスト4の専大松戸を破る“金星”を挙げ、小枝氏の指揮下以外では初めての甲子園出場を決めた。今大会初戦の佐賀商との2回戦でも、2投手の継投で1-0の完封勝ちを収めた。
地元の千葉県は今月13日に記録的な大雨に見舞われ、加治主将は敗戦後に「大きな被害が出ている中、自分たちのために応援に来てくださった方がたくさんいた。こうやって元気に野球ができていることは当たり前ではないと感じましたし、千葉県の方々に少しでも勇気と感動を与えられたのなら、よかったと思います」と声を震わせた。
拓大紅陵ナインはこの夏、久しぶりの甲子園出場だけでなく、確かな人間的成長を果たしたようだ。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)