「カバンを裏返して帰った」“どん底”の草創期から夏の準V 初代主将が語るボイコット劇

健大高崎の初代主将・倉持雄太さんがアルプスで決勝戦を見守った
後輩たちが戦う夏の決勝の舞台を、万感の思いで見つめた。第108回全国高校野球選手権大会は22日、甲子園球場で決勝が行われ、健大高崎(群馬)は3-4で智弁和歌山に敗戦。悲願の夏初制覇はならなかった。アルプススタンドの大応援団には、創部時の主将・倉持雄太さんの姿があった。
「創部当時のことを考えると、本当に考えられない、夢の世界です。とてもここまでくる野球部になるとは思ってもいませんでした」
女子校だった健大高崎が共学化されたのは2001年のこと。同年に入学した倉持さんは、野球部設立に向けて奔走した。40人ほどの男子生徒に片っ端から声をかけて、20人が集まり同好会が立ち上がった。そのうち、経験者はわずか5人。大半が初心者という手探りのスタートだった。
当然、専用グラウンドはない。内野ほどの小さな空き地で、雑草を抜き、石を拾うことから始まった。バットは2本、ボールはわずか1ダース。「今では考えられないような環境でやっていました……。本当に漫画の世界です」と苦笑いする。
翌年、前橋商時代に内野手として選抜大会出場経験のある青柳博文監督が就任し、同好会から「野球部」へと昇格。チームとして本格的に始動することができた。

部員のボイコットが発生…青柳監督「涙しながら帰った夜もあった」
試練はすぐに訪れた。部員の多くが初心者だったこともあり、青柳監督の厳しい指導に耐えかねた多くの部員が、一斉に練習をボイコットしたのだ。
倉持さんは、その時の様子を「私は主将だったので監督を裏切ることはできなかったです。『俺だけは練習に行く』と言いました。1個下の1人がついてきてくれて、監督と3人で練習をした思い出もあります」と振り返る。生まれたばかりのチームはどん底の淵にあった。
青柳監督も「毎回、問題が起きるんです。昔はみんなうちの選手は学校名が入ったカバンを裏返しにして帰ってましたからね。1人で車に乗りながら、涙しながら帰ったときもありました」と、当時の苦しかった胸の内を明かした。
転機が訪れたのは、2年秋の県大会1回戦。1人の走者も出さない完全試合を達成し、公式戦初勝利を掴み取った。倉持さんは「『神様は見届けてくれているのかな』というか、やり続ければいいこともあるんだなと思いながらやっていました」と語る。
この一歩を境にチームは着実に力を蓄え、2011年夏に甲子園初出場。さらに2024年の選抜大会では悲願の全国制覇を果たすまでになった。
創部からちょうど25年。OB会長としてチームの歩みを見守り続けてきた倉持さんは、「『もう25年経っちゃったのか』と思うのですけど、その道は本当に順風満帆じゃなかった。本当にみんながまとまって、1つ1つ積み重ねてきた歴史が今に至るのかなと思います」と言葉を紡ぐ。
深紅の大優勝旗を掲げる夢にはあと一歩届かなかった。それでも、空き地から積み重ねてきた健大高崎野球部25年の歴史は、より一層の重みを増したはずだ。
(神吉孝昌 / Takamasa Kanki)