織田翔希の“険しい表情”が消えた日 恩師と「時には喧嘩」…18歳が決めた米国挑戦

進路を明かさなかった2か月…会見で見せた晴れやかな表情
横浜(神奈川)の織田翔希投手(3年)は15日に記者会見を行い、高校卒業後に米国で挑戦する意向を表明した。最速157キロを誇り、進路に大きな注目が集まってきた18歳。自らの決断を語る表情は、どこか晴れやかだった。
「最終目標である世界一のピッチャー、世界で活躍するという目標に向け、アメリカの地で挑戦することに決めました」
迷いのない口調で発した決断の言葉。その姿を見ながら、約2か月前の光景を記者は思い出した。8月に行われた夏の甲子園準決勝・智弁和歌山に敗れた後の囲み取材で、進路について尋ねた。返ってきた言葉はシンプルだった。
「まだ考えていないです」
それまで淡々と受け答えしていた織田の表情が、進路の話題になると一気に硬くなった。その後、9月に侍ジャパンU-18代表として出場した「BFA U18アジア選手権」でも、進路については明言を避けていた。

決断に影響したU-18での経験…村田監督「時には喧嘩しながら」
幼い頃から憧れていた日本のプロ野球に進むのか。それとも、高校卒業後に海を渡るのか。ドラフトの目玉として注目を浴びる一方で、織田は自身の将来について考え続けていた。
最後の甲子園を終えた後も、進路について考える日々は続いた。その決断に大きな影響を与えたのが、侍ジャパンU-18代表での経験だった。初めて日の丸を背負って国際大会に臨み、日本とは異なる環境や海外の有力選手から刺激を受けた。
「こういった舞台で、さらに上を目指してプレーしたいなという刺激を、他の選手からも、その環境からももらいました」
その過程を間近で見守り続けた村田浩明監督は、決断までの道のりをこう振り返った。「とてつもない時間を共にいろいろ相談しながら、悩みながら、時には喧嘩しながら答えを出したのが、今の答えです」。
簡単に背中を押したわけではなかった。何度も言葉を交わし、互いの考えをぶつけ合った。周囲と話し合い、迷いを重ねた末に、織田は米国で挑戦するという答えを選んだ。
「今はもう、覚悟を決めて挑戦していきたい」
約2か月前、進路を問われて表情を硬くした18歳はこの日、自らの決断をまっすぐ言葉にした。世界一を目指す道のりは、ここから始まる。会見場に、あの日の険しい表情はなかった。
(神吉孝昌 / Takamasa Kanki)