「チームで一番偉いのは誰やぁ!」 怒りに震えた名将…エースを襲った“サイン無視”の罠

元阪急・山沖之彦氏【写真:山口真司】
元阪急・山沖之彦氏【写真:山口真司】

山沖之彦氏は1989、1990年にいずれも2桁勝利

「阪急ブレーブス」は1989年シーズンから「オリックスブレーブス」になった。本拠地は阪急と同じ西宮球場だった。その後、1991年に「オリックスブルーウェーブ」に変わり、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)に移転となるが、長身右腕の山沖之彦氏は1989年と1990年のオリックスブレーブス時代にいずれも2桁勝利をマークした。恩師・上田利治監督の下でプレーしたのも、1990年が最後。「いろいろありました」と話した。

“オリックス元年”の1989年、プロ8年目の山沖氏は、開幕6戦目の4月17日の日本ハム戦(西宮)でシーズン初登板。先発して7回0/3を2失点で勝利投手になった。しかしながら「その時はまだ肩ができていなかったと思います」と明かす。もともと、仕上がりが遅いタイプ。「もう年々、肩ができるのが遅くなっていたんでね」。開幕3カード目の2戦目まで出番が遅くなったのも、そのせいだったが、それでも白星をつかみ、徐々に調子も上げていった。

 4月は1勝だったが、5月は3勝をマーク。登板間隔も中6日以上が多く「大事に使ってもらいましたよ」と山沖氏は話す。「(長い期間)投げない時は、バッティングピッチャーで放って帰っていました。(先発)予定がないから、それでいいかと……。本当は駄目やったかもしれないけど、何も言われなかったしね」。そして、与えられた出番で全力を尽くした。中10日で先発した8月20日の日本ハム戦(岩手)では、延長12回2失点の完投勝利で7勝目を挙げた。

 1-1の延長10回にオリックスが1点勝ち越したが、その裏に味方野手の失策で追いつかれた。それでも気持ちを切ることなく投げ続け、打線が12回に再び1点勝ち越し。最後まで一人で投げ切った。「180球ぐらい投げた。あれが自己最多だったと思う」。その後も白星を積み重ねた。9月27日の日本ハム戦(西宮)では2失点完投勝利で10勝に到達。10月5日の近鉄戦(藤井寺)では7回1/3を4失点で11勝目を挙げ、オリックスは首位に浮上、優勝へのマジックナンバー「8」を点灯させた。

 だが、優勝は逃した。この後、オリックスは最下位・ロッテとの6試合で3勝3敗と苦しみ、同時期に7勝1敗の近鉄に抜かれて、1厘差の2位に終わった。山沖氏も勝負のシーズン終盤は短い間隔で登板したが「自分も大事なところでロッテに負けたんでね」と悔しそうに話す。中4日で10月10日のロッテ戦(川崎)に先発したが、1回6失点で降板して敗戦投手。「初芝(清内野手)に満塁ホームランを打たれた。レフトスタンドに……」と唇を噛んだ。

「上田さんじゃなかったら、こんなに使ってもらっていない」

 プロ9年目の1990年は25登板で13勝8敗、防御率3.74と成績をアップさせた。前半で7勝を挙げ、オールスターゲームにも1987年以来の2度目の出場。「2度とも子どもが生まれた年なんですよ。娘の時は嫁さんに『お兄ちゃんの時だけ出て、娘の時に出なかったら、大きくなった時に何か言われるんと違う』と言われて『えー、ちょっと待ってや』とね。別に張り切りはしなかったし“そんな、関係ないやろ”と思っていたけど(球宴に)出られた(笑)」。

 しかし、「ブレーブス」としてラストとなったこの年も優勝できなかった。西武に独走を許し、12ゲーム差の2位。上田監督は勇退した。山沖氏は「1年目(1982年)から上田さんが大事なところでも使ってくれたから、自分はプロでやれたと思う。上田さんじゃなかったら、こんなに使ってもらっていないと思いますよ。それに自分が応えられたのかはわからないけど、本当にいろいろやらせてもらったと思います」と、まず感謝の言葉を口にした。

 怒られた思い出もある。「ある時、ベンチからサインが出ていたのをキャッチャーが自分に伝えんでサインを出したことがあってね。フォークのサインだったけど、2ボール1ストライクやったかな。自分はフォークにあまり自信がなかったから、変化球でカウントをとるんだったら、スライダーがいいわと思って、首を振ってストライクを投げたら打たれて負けたんですよ。で、帰ってすぐミーティングですよ」。待っていたのは“カミナリ”だった。

「上田さんが『ベンチからのサインを無視して投げているピッチャーがいる、このチームで一番偉いのは誰やぁ!』って。こっちはベンチから(サインが)出ていたって知らなかったけど、いつも投手主導でやっていたんでね、何も言えなかった。その後、バッテリーだけでミーティングをやって”ベンチから出ている時もあるから、その時はサインを変えるな”ってなったんですけどね」。山沖氏は苦笑しながら、懐かしそうにも話した。

「キャンプなんかも大変でしたよ。バント練習の時、守備が動くから(投手は)絶対ストライクを投げてバントをさせんといかんの。それが2球続けてボールやったら、上田さんがマイクで『どいとけ!』って球場中に響き渡って……。こっちはまだ肩ができていない時期やから、もう必死ですよ。で、ミスがあったらもう震え出すからね、あの人。まぁ、イラチはイラチやけども、そんだけ厳しかったですね」。そんな指導のおかげで山沖氏は「ブレーブス」で成長した。上田イズムを忘れることはない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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